小林 そうですね。カムイサウルスの化石の保存状態は非常にいいんです。この前、北京の地質博物館から来日した中国の研究者も「ハドロサウルスの仲間としては、これはアジアで一番いい標本じゃないの?」と言っていました。中国でも、そうそう見ないと。
――中国は恐竜化石の発見数が極めて多い国ですが、その中国から見てもカムイサウルスの化石の状態は良好だったんですね。むかわ町から、世界レベルの化石が見つかった。
小林 また、海の地層から見つかった点も重要です。見つかったカムイサウルスは、水深80~200mくらいの深い海の底に死体が沈んでいたと思われます。
――死体がそこまで沖合に流されれば、普通は腐敗してバラバラになるでしょうし、いろんな生物にも食べられてしまいそうです。なぜ海の地層なのに、良好な保存状態の化石ができたんでしょうか?
小林 今回の化石の場合、おそらくカムイサウルスは陸上から一気に沖へ流されたと思われます。あくまでも可能性の話ですが、津波などに巻き込まれたのかもしれません。海中を漂うなかで腐敗したり、他の生き物に食べられたりする時間は、ほとんどなかったようなのです。
――なるほど。可能性の話とはいえ、津波の怖さは恐竜時代も一緒だった……。
小林 もっとも骨を調べると、多少は他の生物に食べられた痕跡があります。ただ、ホオジロザメみたいな大きな生き物ではなく、海底に住んでいるような優しいサメがすこしかじったくらい。しばらくは死体が海底に沈んだ状態で、それから土に埋もれていったとみられます。
恐竜学者は「恐竜の名前をいっぱい覚えている人」ではない
――一般の人のなかには、恐竜学者を「恐竜の名前をいっぱい覚えている人」のように勘違いしている人もいると思います。そうしたイメージと、実際の姿との違いはどこにありますか?
小林 端的に言うと、「勉強」と「研究」の違いです。恐竜に限らず、専門用語を多く覚えている、うんちくをたくさん傾けられる……というのは、知識をため込む作業としての「勉強」の成果です。しかし「研究」は知識を生み出す作業です。そこにある情報を自分なりに解釈をして、ちゃんと論理立て、ある程度の結論を出す作業であって、「勉強」とは全く違うものなんです。
「研究」にマニュアルなんかはなく、自分で生み出して身につけていくしかありません。研究の伸びは、いわゆる偏差値的な学力とは別種の能力なんです。もちろん、訓練によって研究のセンスを磨くことは可能なのですが。
――耳が痛いです。私は学生時代に歴史学を専攻していましたが、文系・理系の違いはあれど、「勉強」と「研究」の違いは多くの大学院生を悩ませる罠ですね。
小林 そうです。かつての私自身もそうでしたし、いま指導している大学院生たちも、みんなその壁にぶつかる(笑)。もちろん、「勉強」したいと興味を持つのはすごく大事なことです。そのスタートラインから、対象を観察して、自分なりの仮説を出して、検証するというサイエンスの作業を進めていくわけです。本当のサイエンスがどういうものかを体験して、それを乗り越えると、面白くてやめられなくなりますよ。