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 此ノ木隧道が完成に至るまでのあらましはわかった。しかし、なぜ現在に至るまで補修が続けられているのかは謎に包まれたままだ。誰が何の目的で補修を行っているのだろう。大田町会長に疑問をぶつけてみた。

「あの道はいま石川県七尾市の市道に編入されていて、国土強靭化の一環で市としても『何かしなければ』という気持ちになっているんです。住民の高齢化が進んで地域だけでは管理がなかなか手に負えない状況なもんだから、私ら大田町から七尾市にしょっちゅう要望書を書いて定期的に補修をしてもらっているという状況ですね。

 ただ、全部を一気にきれいにすることは予算の都合上できません。だから所々、時々で必要な補修をしとるわけです。ボルトも最近、基礎のコンクリートも最近。昔は木の支えがあるだけだったものを補修しながら現存させとるんです。万が一の事故があったら危ないですからね」

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地域からの要請をもとに七尾市が補修工事を行っている ©文藝春秋

 最後に、此ノ木隧道のような東屋状の木の庇が残されたトンネルはこの辺りで一般的なものなのかと尋ねてみると、目を細めながら「ああいったトンネルを他で見たことはない」とおっしゃっていた。

廃道のプロが語る「此ノ木隧道」のすごさ

 大田町会長が語ったように、此ノ木隧道は非常に貴重なトンネルだと考えられる。廃道・廃線・未成道・隧道・林鉄……古き良き「交通」を冒険し、情報サイト『山さ行がねが』を運営し、自身も此ノ木隧道を探索した“ヨッキれん”こと平沼義之氏に、此ノ木隧道の“すごみ”を尋ねると、以下のように語ってくれた(当時のレポートはこちら)。

平沼義之氏の著書『廃道探索 山さ行がねが

「すごい! これは大変なものが残っていたぞ!という興奮が、まずありました。これが一番大きな感想です。

 また、高さ制限2.7mの道路標識のインパクトも特筆すべきものでした。どう見ても現代的ではない、半世紀以上昔からワープしてきたかのような姿の隧道に、現代の道路上でごく見慣れた道路標識が掲げられている。このギャップ萌えにやられました。『ああ、この隧道は、この姿で生きているんだ』と感じました」