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「誰よりも目立ちたい」という欲望で警察沙汰になることも…明石家さんまのヤバい中学時代

『明石家さんまヒストリー1 1955~1981 「明石家さんま」の誕生』より #2

2020/11/28
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 さんま「なんせ兄貴が可愛がられて。俺は次男坊やからそれが悔しくて。なんとか兄貴に勝とうとして、親戚の注目を集めるために面白いことをしてた。似てないものまねをしたり、おもしろい話をしゃべったり。それがあって今の僕があると思いますよ」(TBS『明石家さんまの熱中少年グランプリ』2019年5月5日)

最高に面白いおじいちゃん

 祖父・音一の存在も高文に大きな影響を与えた。

 音一は真面目で実直な恒とはちがい、豪快でユーモアあふれる人物だった。風邪で頭痛を起こすと、わざと絆創膏を頭に貼っておどけたり、「ちょっと旅に出よか」と高文を連れ出し、眼鏡店に立ち寄ると椅子にデンと腰掛け、眼鏡屋を眼科と間違えたフリをして、「で、先生はいつごろおいでになるんでっか?」と店員に真顔で尋ね、高文を大笑いさせた。

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 高文の両親は、そんな音一の振る舞いにいつも頭を悩ませていたが、高文にとって音一は、“最高に面白いおじいちゃん”だった。

 両親が仕事と家事で忙しかったため、高文の遊び相手は、もっぱら音一と正樹。いつも一緒にいて、人を笑わせていた音一と正樹と高文は、近所に住む人たちから「奈良の三バカ大将」と呼ばれ、親しまれた。

 奈良の三バカ大将が杉本家の愛犬・ベルの首に「杉音食品」の前掛けをくくりつけたり、マジックペンでベルの目のまわりを丸くふち取りしたり、眉毛を描いて近所を散歩したりすると、たちまち人だかりができた。

笑いに目覚める

 人を笑わせることに強い関心を示すようになった高文は、小学4年生のときに同級生の岡田と漫才コンビを組み、高文が見よう見まねで作った漫才ネタを、友人の誕生日会などで披露した。

©iStock.com

 高文はツッコミを担当。アドリブを交えながら、テンポよくこなすふたりの漫才に、同級生たちは腹を抱えて笑った。高文は自分が言ったことに対し大きな笑い声が返ってくることが嬉しくてたまらなかった。それまでは、「泣きみそ」というニックネームがつくほど、ちょっとしたことで涙を見せていた高文であったが、笑いに興味をもち、注目を浴びるようになると、人前ではいつも笑顔を見せ、一切泣かなくなった。

 さんま「“大鵬とかけて! お前のパンツと解く! その心は! いつやぶれるか!”とか言うて、そんなことやってました。“よーい! うどん!”とか言いながら」(TBS『さんまのスーパーからくりTV』2013年5月19日)

 小学6年生になると、高文は同級生の大塚とコンビを組み、漫才をする前日には、大塚の家に泊まりがけで稽古をするほど人を笑わせることに貪欲になっていく。