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答えを与えられない「指導改革」

 それなのに、まったく答えをもらえないのです。

(何なんだ! この場は)

(一体あなたは何なの? 何をしてくれる人なの?)

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 少しばかり目つきが変わった他のコーチの様子を見て、彼らの気持ちはすぐにわかりました。私も同じ感覚でした。

 私たちは混乱しました。思えばこのときまで、私たちの学びの文化はまさに「受け身」でした。

 それからも、一切答えはもらえませんでした。

 解答用紙の代わりに、彼は私たちに問いかけながらヒントをくれました。

「結局さ、誰かが『はい、こうこう、こうしますよ』ってみんなに指示を出すことで、何が得られるのかな?」

「あなたたちがどういうチームにしたいのか。どういうクラブにしたいのか。どんな指導者になりたいのか。どういう選手であってほしいのか、っていうのを自分たちでアイデアを出し合って、自分たちで決めていく。そうやってみんながある程度了解した状態でプロジェクトを進めてこそ、納得感があるから足並みが揃うし、意味が出てくるんじゃないのかな?」

指導者同士のディスカッション

 そのような問いをもらいながら、彼がいないところで指導者たちがディスカッションするようになりました。時間はかかりましたが、さまざまなことをボトムアップで決めていく風土が生まれました。構築していくべき指導哲学、フィロソフィーのようなものを考え始めたのです。

©iStock.com

「指導者としてプロフェッショナルだというのなら、選手のピッチ上でのパフォーマンスだけに注力していいのだろうか?」

「彼らがフットボール選手じゃなくなったとき、ビジャレアルというビッグクラブの後ろ盾がなくなったときに、彼らがどんな人間になっているかというところに責任をもつ。それがプロの指導者としての責務ではないか?」

「彼らが華々しい状態でなくなったときに、私たちの指導の成果がはかられるべきではないか?」

「今リーグで何位になりました、代表選手に何人輩出しましたと自分の勲章のように誇らしげに語るのは、本当にプロの指導者なのか?」

 そうやって自問自答しました。「選手のあるべき姿」の定義を、120人のコーチたちは実に10か月かけて言語化したのです。