週明けのスポニチ。「世界中で変異株続々 スカスカの水際対策で東京五輪は、日本は、大丈夫なのか」(6月28日)。
スポーツ紙らしくバブル方式を「バブル崩壊」と書いていました。
そんななか、ああやっぱりかと思ったのは、何人もの閣僚らがこの1カ月ほどの間に菅首相に五輪中止の決断を迫っていたという。
「この状況を考えれば、中止も仕方ありません」
「中止で支持率はマイナスになりません」
だが、そうした声はみな退けられた。『閣僚「五輪中止を」拒む首相』という一面記事である(朝日新聞6月25日)。五輪の成功を背に衆院解散・総選挙に臨んで長期政権の足場を築くシナリオにかたくなにこだわっているという。
「勝負師」「ケンカ師」というより「ギャンブラー」
菅首相はいまや令和おじさんではなくオリンピックおじさんなのである。首相は五輪に賭けたのだ。以前に私は「菅首相=ギャンブラー説」を書いたことがあるがやっぱり今回も賭けていた。カジノおじさんなのかもしれない。
ちょっと説明すると、これまで菅首相は「勝負師」とか「ケンカ師」と称されることが多かった。たとえば読売新聞政治部が昨年末に書いた本のタイトルは『喧嘩の流儀 菅義偉、知られざる履歴書』(新潮社)である。
「やるなら真っ正面から来い」(帯文)とか「甘利に刃向う奴は俺がぶっつぶす」とか、とてもカッコいい首相の言葉があちこちにある。
本人も著書『政治家の覚悟』(文春新書)で横浜市議選に立候補したときについて次のように書いている。
《自民党の人たちからは「今回はやめておけ」、「四年後にまた出ればいい」と何度も諦めるように言われました。しかし、私は頑として応じなかった。「これはチャンスだ」と思って貫き通しました。そこが一つの運命の分かれ目だったと思います。》
ご本人もお気に入りであろう「勝負師」「ケンカ師」というフレーズ。でも、ちょっと見方を変えて「勝負師」を「ギャンブラー」にして考えてみたらどうだろう?