父の記憶が曖昧なのは、その日の正午の全国放送で、天皇陛下の終戦の詔書の放送があり、その放送がどうも戦争は負けたらしいから、どうするということになったからである。
会社的に、軍関係から依頼された仕事の痕跡は焼却しなければならないと決まって、それから三日三晩、酒匂川の川原で資料を燃やし続けるという大仕事が始まったという。
そうなれば、「中学校を出たばかりといった子供だったよなぁ」とゴム袋を持たされて隊列を組んで会社の正門を出て行った一握りの隊の行方などは、一化学研究者などには、探りようがなかったろう。
戦果をとるか、被害をとるか?
このことが、ぼくにとって、研究者とその実績と、まして兵器との関係というものに思いを馳せる土壌になっているのだと思う。
2013年公開の宮崎駿監督作品である『風立ちぬ』で、零戦の設計者堀越二郎の劇中での最後の言葉に、「(零戦のパイロットを指して)......だれも帰って来なかった」と言わせているのだが、設計者の書いたものにそれに類す記述というものはなかったと思う。(どこかに書いているのかも知れないが、[編集部注:堀越二郎氏が著者を務めた]前掲書『零戦』にはなかった......)
技術屋という者はそういうものだ。発注者は軍だし、使うのは軍だから関係しようがない、という心境は分かる。分かるのだが、そうだろうか、という思いは今日までついてまわっている。
兵器の開発物語などは、技術の進化論を語るわけで、それが仕事なのだから、異議を差し挟むわけにはいかない。技術の刷新と改変は無意味なことではないし、それによる成果も戦果も大きい。原爆二発で日本の軍国主義が一気におさまったのだから、その意義は巨大である。が、被害も甚大であった。
そのどちらをとるのか?
と、この論をすすめるのが本論ではないのだが、作劇論にドッキングさせると専門職の視線だけだとドラマは創れないよ、というところに落ち着くのだ。
ドラマを書くということは、戦記の戦果をとるのか被害をとるのか?という設問を、ひとつの作品として上梓できる媒体である、ということなのだ。
これが肝なのだ。ここからドラマ論に一挙にすべりこむことができる。
この“一挙に”という部分を感得できれば、ドラマを構成することができるのだが、この部分を感得できなければ、ドラマを書くという希望は捨てる必要がある。それが巨大ロボット物の創作を生業にしてきた者の感覚である。