自分たち向けの大衆酒場が作りたい
──店を出す場所として谷町六丁目を選んだのには理由があったんでしょうか。
大阪の地形もあるんでしょうけど、玉造って知り合いが全然来てくれないんですよね。心斎橋あたりからだと坂を上がって下りなあかんじゃないですか。友達でも来てくれないんやなと(笑)。それで、場所は大事やと思って、ちょうど谷六でいい物件が空いたので、そこでオープンしたのが2016年です。谷六だと心斎橋から坂上がってくるだけなんで、後は下って帰れるじゃないですか。それもあってオープンから予想以上に人が来てくれました。
──「大衆食堂スタンドそのだ」は大衆酒場っぽくもあるし、新しい要素もあって、そこが独特ですよね。
店を出す前から、東京に毎週のように行って、特に東京の東側の大衆酒場でよく飲んでたんです。東京だったらチューハイが焼酎と割りもの別々に出てきて「ナカ」「ソト」って呼ばれてるとか、バイスサワーがあったり、コの字カウンターもそうですし、かなり影響を受けましたね。南千住の「丸千葉」とか。あと、地元の福山にある「自由軒」っていう店もすごく好きで、そこもイメージしました。
古い大衆酒場が好きなんですけど、そういう店ができた当時ってたぶん、30代とか40代の人が店をやって、客もそれぐらいだったと思うんです。そのころはあれが新しかったはずなんですよね。だから、今の自分たち向けの大衆酒場が作りたいと。たとえば今の30代だったら、パクチーとか山椒とか香辛料系が好みの人が多いからそういうメニューを作ろうとか、そういうことを考えました。
──ここ数年、「大衆食堂スタンドそのだ」に影響を受けたお店がすごく増えた気がするんです。そういう店は「ネオ大衆酒場」と呼ばれたりしていますけど、それについてはどうでしょうか。
正直、その言い方はサムいというか、好きじゃないんですけどね(笑)。一つ思うのは、自分たちはそこまで若い人に媚びた感じにしてないつもりなんです。おじさんも入りやすい店を目指したんで、そこら辺は今増えている店とは違うかなと思います。でも、第一人者としてやってるんで、だからこそ潰れるわけにはいかんっていうのはありますよね。