2021年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。グルメ部門の第5位は、こちら!(初公開日 2021年3月2日)。
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大衆そば・立ち食いそば屋にあって、老舗そば屋にはないメニューとして、今まで「コロッケそば」、「春菊天そば」をお話ししてきた。去年12月「春菊天そば」について原稿を書いたところ、隠れ春菊天ファンが相当多数(推定4000万人!)いることがわかり、歓喜驚愕した。
実はもう1つ関東の老舗そば屋にはほとんどないメニューがある。それは「げそ天そば」である。
『いやいや、「げそ天」は関西のうどん屋にはあるし、西日本でもよく食べている』、『山形のそば屋では「げそ天」は定番だ』、『げそわさ、げそフライ、げそ唐揚げ、げそバター炒めなどは、居酒屋定番の全国区の人気メニューである』と言われると、おっしゃる通りなのだ。
「げそ」にあった悲しい歴史
しかし、特に、関東の老舗そば屋ではまず見かけない。その理由を紐解いていこうと思う。「げそ天」が立ち食いそば屋の人気メニューになるまでには、げそには悲しい歴史があったようだ。
イカの胴体はフライや天ぷらとして人気である。純白で美しい。高級天ぷら屋や洋食屋ばかりでなく、中華料理屋、社食、給食などでも広く食材として利用されてきた。冷凍食品として扱いやすい食材だったのだろう。
それに対し、げそは同じイカでも足というだけでなんとなく格下的に扱われている。げそは見栄えも悪いし、小さな吸盤があって食べにくいからである。
関東の老舗そば屋ではイカの胴体やエビは天種にするが、値段が安い格下のげそを天種にすることは避けてきたのだろう。また、「げそ天」を揚げると、天ぷら油がすぐ汚れてしまうということも背景にあると思う。
あと、老舗そば屋でげそを扱わない決定的な理由は、昔からそば屋ではまな板に魚などの生ものを載せないという掟みたいなものがあるという。それは今でも続いている。冷凍で加工してある胴体はカットするだけなので使えるけれど、げそは下処理が必要でまな板を汚してしまうわけである。高級割烹でもげそを扱うことはまずない。「悲しいげそ君」である。
昭和40年代の高度経済成長の頃、築地場内市場に仕入れに行けば、一斗缶に山ほどのげそが無造作に置かれていて、タダ同然で売られていたという。「売れないから持っていってくれ」というわけである。しかし、新鮮なイカが手に入る全国の漁師町では、げそは胴体より味が濃くてうまいことはもちろん常識であった。そのため、昔から、地域ごとに工夫して粛々と食べられてきた。ただ、そばに載ることはあまりなかった。
「げそ天そば」の誕生
そんな悲しい運命だったげそに転機が訪れる。昭和40年代、東京の古参の立ち食いそば屋「六文そば」で新メニューとして「げそ天そば」が登場し、一躍、東京で人気となった。
そして、シンクロニシティかどうかはわからないが、昭和50年代、旭川の「天勇」でも、げそを炒め揚げしてご飯にのせた「げそ丼」や「げそ天そば」が誕生し、ローカルフードとして大人気になっていった。山形でもげその旨さが広まって、そば屋でも「げそ天」が人気のメニューとなっていった。各地でふつふつと「げそ愛」が開花していったわけである。
そして、現在、「げそ天そば」は関東以北や東京近郊の一部の立ち食いそば屋では、なくてはならない人気メニューとなっている。しかし、関東の老舗そば屋では今もあまりみかけない。
内陸地でげそやイカが食べられてきた理由
先述した旭川や山形、また青森・福島・群馬・長野・新潟あたりでも「げそ天」やイカを使った料理が人気である。また、海のない内陸部でも食べられてきたようだ。一説には、江戸時代に「スルメイカ」などの干物を保存食として食べていて、その干物を水や酒で戻して煮物にしたり、炊き込んだり、天ぷらにしたという。イカは重要な保存食として貴重な食材だったわけである。また戦後は輸入冷凍イカが広く出回り、その人気が今も続いているというわけである。
げそ天に適したイカは何?
スーパーや鮮魚店でよくみかけるイカは、たいていアオリイカ、ヤリイカである。これらは「げそ天」にするには小ぶりで、しかもアオリイカは値段が高い。「げそ天」には、主にスルメイカやアカイカ(ムラサキイカ)が多く使われている。アカイカ(ムラサキイカ)は輸入ものも多く、胴体が回転寿司のイカの握りに使われることが多い。その「げそ」は肉厚で「げそ天」向き。東京の立ち食いそば屋で人気の材料となっている。
ただ、1つ心配なことがある。近年、輸入ものを含めスルメイカ、アカイカの不漁による高騰が続いていることだ。「げそ天が定番メニューから消える?」なんてことが、すでに起きているようだ。