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「あの少女はナパーム弾ではなく、火鉢の事故で燃えたんじゃないか」…報道写真「戦争の恐怖」がアメリカ軍に“フェイク扱い”された事情

『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』 #2

2022/07/23

 キム・フックが生死の境をさまよっている間、ニックが撮った写真が世界中のメディアに配信された。

1973年、「戦争の恐怖」でピューリッツァー賞を受賞したニック・ウト氏 ©getty

 米紙ニューヨーク・タイムズは米国時間の翌6月9日付一面に、日本では朝日新聞が日本時間の同日付夕刊3面に、「ナパーム弾の誤爆」といった見出しで掲載。終わりの見えないベトナム戦争の凄惨な現実を世界に知らしめた。

 ナパーム弾はベトナムの各地で降り注がれ、おびただしい数の犠牲を出したが、投下の瞬間に報道陣が居合わせ、連続写真や動画として記録した点でも稀有だと言える。

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なぜニックの写真だけが際立ったのか?

 それにしても、報道陣は他にも複数いたのに、ニックの写真が際立ったのはなぜか。

 米誌ライフ向けにベトナムで取材を続けていたデヴィッド・バーネットは1972年6月8日、まさにニックの隣でカメラを構えていた。そうしてまずは、キム・フックより前に飛び出してきた人たちの撮影にフィルムを費やす。その後、キム・フックらが駆け出してきた時、バーネットは30秒くらいかけて、次のフィルムを装填していた。当時のフィルムは手動での巻き戻しで、交換にも時間がかかったのだ。

 ニックも、持ってきたカメラ4つのうち、3つはフィルムを使い果たしていた。フィルムを入れ替える時間はない。瀕死の孫ジャンを抱えた祖母タオに続き、キム・フックらが姿を現したのを見て、ポケットから4つ目のカメラ、ライカを取り出した。そうしてあの瞬間がニックの手で記録された。

 他にも撮った記者はいたが、「裸の写真は使えない」と判断されたようだ。使われないフィルムは廃棄の憂き目に遭ったらしい。

 ビデオ動画としては、ITNのクリストファー・ウェインが撮ったカラー映像が残った。その瞬間に何が起きたかを後世に残した貴重なカラー動画だ。長年、ドキュメンタリーやテレビ番組などで繰り返し引用され、ナパーム弾のリアルな脅威を生々しく語り継ぐのに欠かせないフィルムとなる。だが、当時はカラーテレビが急速に普及し始めた頃で、一般には動画を気軽に見られる状況にはなく、世界的には、ニックの1枚の写真のインパクトがまさった。

写真の真偽を疑ったニクソン大統領

 写真の反響の大きさに、真偽を疑う人物まで現れた。時の米大統領、共和党のリチャード・ニクソンだ。

 ナパーム弾の写真が米メディアを席巻した3日後の12日、ニクソンと、米大統領主席補佐官ハリー・ロビンズ・ハルデマンとの間で交わされた会話が、ホワイトハウスの大統領執務室での録音として残っている。

 ベトナム反戦運動を勢いづかせたナパーム弾の写真について、ニクソンは右腕のハルデマンに言った。

「あれは修正じゃないか?」

 ハルデマンは「あり得ますね」と応じた。

 ニクソンを米国史上初の大統領辞任に追い込んだウォーターゲート事件は、この5日後に起きた。ハルデマンも、この事件で共同謀議や偽証罪などに問われ、服役している。

 1972年6月末まで米陸軍参謀総長を務め、ベトナム戦争で米軍の指揮を執っていたウィリアム・ウェストモーランドも後日、「あの少女はナパーム弾ではなく、火鉢の事故で燃えたんじゃないか」と言ったと報じられた。

 ナパーム弾を浴びれば助かるわけがない、と思ったゆえの発言だった可能性もあるが、写真をフェイク呼ばわりする形だ。

 幸い、あの現場には大勢の報道陣が居合わせ、ニックの前後の連続写真も、ウェインの動画も残っている。

 さらには米NBCが後年、米軍の記録とも照らし合わせて、ニックの写真にはなんら疑いがない、と報じた。

 AP通信のホルスト・ファースがある日、ウェストモーランドをつかまえて真意を問いただそうとしたことがあるが、はねつけられたという。

 だがウェストモーランドは、ベトナム戦争を描いた米アカデミー賞受賞ドキュメンタリー『ハーツ・アンド・マインズ』(74年)で、カメラを前に「東洋人は西洋ほど、人命を重視しない。東洋では人命は十分にあって、その値段も安い。彼らの価値観として、命は重要ではない」と語った人物ではある。

 ニックの写真は73年春、ピュリツァー賞をニュース速報写真部門で受賞した。史上最年少、かつベトナム人初の受賞だ。

 オランダ・アムステルダムに本部を構える世界報道写真財団も同年、この写真を世界報道写真大賞に選んだ。

「ナパーム弾の少女」五〇年の物語

藤 えりか

講談社

2022年6月8日 発売

「あの少女はナパーム弾ではなく、火鉢の事故で燃えたんじゃないか」…報道写真「戦争の恐怖」がアメリカ軍に“フェイク扱い”された事情

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