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「つらい思い出は多いが、いまでもやりきれないのは好きな女の子のことだ。よくいっしょに作業をしていた子がいた。でも、ポル・ポト時代は、結婚相手はオンカー(組織)が決める。彼女はオンカーが決めた婚約者を嫌がったことで、殺された」

 作業もひどく非効率的だった。ときに、虫が多いので山の上から中国製の農薬が撒かれ、そのため山の下にいる人が死んだ。だが、それを馬鹿げていると感想を口にした人は、密告されて殺された。

「映画の描写なんかまだまだぬるい。私は裏側で見ていたから知っている。(ポル・ポト派支配下の)村から逃亡しようとした人間は、生きたまま腹を割かれて肝臓を取り出された。はじめて見たときは怖かったが……。何度も見ると、慣れた。慣れてしまったんだ」

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ユルさと重さが同居するラブホテル居抜き物件のカンボジア寺

 ついにヤマダは辛抱たまらなくなったが、運悪くマラリアに罹患して寝込んだ。だが、ソ連から入ってきたキニーネを飲むとすこし動けるようになったので、病み上がりの身体で這うようにして部隊を抜け出し、数十キロを歩いてタイ側の難民キャンプに逃げ込み──。そして、日本に来ることになった。

寺の庫裏で料理を作るカンボジア人の女性たち。撮影:Soichiro Koriyama

 伊勢原のカンボジア寺に集まる元難民の男性たちは、ヤマダのみならず、若い時に日本に来ていることもあってかみんな日本語が上手である。現場系の仕事を長年やってきたことで、そこそこお金も貯まったようだ。ときに日本語が交じる仲間同士の会話を聞いていると、次に買う大型ミニバンはどの車種がいいか、といった話も聞こえてきた。だが、ヤマダは言う。

「いまでも夢に見てうなされることがある。でも、かなり減った。日本に来てようやく、ぐっすり眠れるようになったんだ。最近よく思うのが、当時の偉い人たちに会って『なんでああなったのか』聞いてみたいということだ。あれは何だったんだろう。いまだによくわからない」

 大らかすぎるほど大らかな雰囲気が濃厚に漂う、ラブホテル居抜き物件のカンボジア寺。そこに、内戦と虐殺の歴史を背負った元難民の男たちが集う。この限りないユルさと重さの同居に、いかにもカンボジアらしい空気感があった。