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 幼い頃に将棋を覚えて強くなり研修会に入って力を伸ばし、小学生全国大会で優勝し、奨励会に入る。これがプロ棋士になる少年の理想的な道だろう。渡辺明名人や藤井聡太五冠はそんなエリートの道を歩んできた。

 小学生の小山さんも、将棋にのめり込み全国大会に出た。けれど、エリートの道を歩む力も経験も足りない、全国にたくさんいる「将棋の強い少年」の一人だった。

 将棋に出会ったのは小学2年生のとき。「ゲームボーイ」にはまり、やり過ぎてめまいを起こし入院したのがきっかけだった。ゲームの代わりになるものをと、母が買ってきたのが将棋セット。母と4歳下の弟の真央さんと3人でルールを覚えて家族で対局し、しばらくして釜石支部(日本将棋連盟には将棋愛好家で作る支部が全国津々浦々にあり、地方ではボランティアで教室や道場を開いている支部もある)が将棋教室を開いていることを知り、そこに母と兄弟で通うようになった。

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「ゲームボーイもそうですが、熱中しやすいタイプで将棋にも夢中になりました。支部の方たちはすごく熱心に教えてくれました」(小山さん)。

 

 釜石では強い相手は限られているし、毎日将棋が指せる場があるわけではない。息子たちが上達していくのを喜んだ父は、小山さんが小4の頃、ネット将棋の将棋倶楽部24を勧め、操作方法を教えてくれた。小山さんは毎日のように対局するようになった。

 以降、将棋倶楽部24のレーティング(勝敗から強さを数値化したもので、勝てば上がり負ければ下がる)は、小山さんにとって自分の棋力向上を測る指針となっていく。

「もの凄い天才少年が来ている」と聞いて…

 対面で指せる貴重な機会として積極的に参加したのが将棋大会。釜石近辺のローカル大会はもちろん、岩手県代表を決めるような大会にも毎回出た。そんな大会が行われる盛岡市や紫波町までは車で2時間以上かかる。土日の出勤もある父は、仕事を調整して、必ず連れて行ってくれた。さらには「青森で大会があるから行ってみよう」と夜明け前に出発する遠征もたびたび。

 兄弟とも何度も上位に入り、母の聖子さんも初心者や女性のクラスに出て「将棋を指すお母さん」として覚えられた。小山兄弟は東北地方の将棋界では名前を知られ、釜石支部の自慢の息子のような存在になっていった。

小山さん小6、弟の真央さん小2のとき。大会会場に早めについて兄弟で練習対局。仲の良い兄弟で、顔も将棋も似ていると言われていた(写真提供・小山怜央さん)

「将棋が最優先の家族でした。でも両親は負けると怒るとかプレッシャーをかけるとか一切なく恵まれていました」と小山さんは両親への感謝を口にする。

「もの凄い天才少年が来ている」。小6の5月に遠征した青森の子ども大会の会場で小山さんはこんな話を聞いた。将棋を本格的に始めてから1年も経たず、3カ月前には小学生大会のCクラスに出ていたのに、棋力を急上昇させその大会ではAクラスに出ていた小5の阿部光瑠七段だ。