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奨励会受験は不合格、将棋の「エリート」ではなかった。それでも、小山怜央さんがプロに勝ち越した理由とは

奨励会受験は不合格、将棋の「エリート」ではなかった。それでも、小山怜央さんがプロに勝ち越した理由とは

小山怜央さんインタビュー #1

2022/11/13
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 小山怜央少年と阿部光瑠少年は予選で対戦した。「そのときは私の勝ち。こっちは将棋を始めて3年経っていたし、完勝で自分のほうが強いと思いました」と小山さんは言う。予選は1敗しても抜けられる方式で、阿部少年は勝ち上がり、決勝で再び小山少年と対局した。

「そのときに阿部先生の本当の強さ、恐ろしさを体感しました。途中までは私の方が良かったはずが逆転負け。そのひっくり返し方、終盤の切れ味が普通ではない。天才というか常人ではないことは子ども心にも分かりました」

 阿部七段は、その3カ月後に行われた小学生の全国大会倉敷王将戦の高学年の部(4~6年対象)に青森県代表として出場。5年生ながら5位に入賞した。6年生の小山さんも岩手県代表として同じ大会に出て31位だった。

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小6の7月、仙台で行われたJTこども大会高学年の部で決勝進出して袴を着てステージで対局。弟の真央さんも低学年の部で決勝進出。兄弟とも準優勝だった(写真提供・小山怜央さん)

「阿部先生に限らず、年下で強い子は全国にたくさんいるなと思いました。絶望はしてません。これからも好きな将棋を楽しんで続けようという感じでしたね」

 阿部七段は小6の8月に倉敷王将戦全国優勝を果たして同月奨励会に合格。猛スピードで昇級していった。それは知っていたけれど、「別の世界に行ってしまった感じで追いつきたいと思いませんでした。プロ棋士になりたい気持ちはなかったわけではありません。でも、小学校を卒業する頃に将棋倶楽部24のレーティングが1600(一般的な将棋道場では三段前後)くらいでしたし、奨励会に入れるような力ではないことは分かっていました」。

不合格でも「やめようとかまったく考えませんでした」

 地方で敵なしの将棋の強い少年が、自分は天才だ、トッププロになれるとうぬぼれる。よくこんなストーリーが語られるけれど、全国大会やネット将棋で自分の力が測れる時代にそんなことはないだろう。小山さんも冷静に自分の力を把握していた。ただ、もっと強くなりたい気持ちにはブレがない。父は元奨励会員の指導棋士が教えるオンライン将棋教室を探してきて、小6~中3くらいまで指導を受けた。

「私は早指しで、それで悪手を指すこともしばしば。先生には『考えて指せ』と何度も何度も言われました。後々までその言葉は響き、棋力も伸びました」

 将棋倶楽部24のレーティングも2500程度まで上がり、奨励会に届くかもしれないという棋力に達した頃、小山さんは奨励会を6級受験できる最後のチャンスである15歳(中3)になっていた。東京まで遠征した中学生名人戦(県代表が集まる大会ではないものの全国から強い中学生が集まるメジャー大会)でも3位に入った。奨励会を受験させてほしいと小山さんは頼む。両親は、東北地方を普及で回ることが多かった島朗九段に相談し、紹介してもらった北島忠雄七段に師匠をお願いした。