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 兄貴は僕のことを“タヌキ”に違いない、としばしば言うことがあった。彼の中には常に僕に対するやっかみがあるのだ。まず、中学受験で僕は慶應の志木高校に、一方兄貴は地元の県立鎌倉高校にそれぞれ入学した。その時点で彼は僕に対する劣等意識を持ち始めた。弟は寮生活になんとか耐えられるが、体の弱い兄貴は無理だと親は判断したようだ。あらゆる手を尽くせば(裏口入学?)志木高校に入れることはできたらしいが、その選択を親はしなかった。

 兄貴は神奈川県立鎌倉高校に入学したものの公立の、受験一辺倒の学校の体質に馴染めなかったという。体調も思わしくなく、度々自家用車で学校へ送ってもらっていた。今でこそ車で学校に送り迎えする親はいるだろうが、当時は周りから稀有な存在として見られてバッシングを受けていた。

兄弟に共通していた“コンプレックス”

 その後、兄は大学へと進学することになる。その頃できたばかりの和光大学で、その一期生となる。時を同じく、弟は慶應大学の文学部に入学する。

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 僕と違って兄貴は語学に関して大変な努力家だった。大学だけでなく、フランス語の会話を極めたいと、御茶ノ水にあるアテネ・フランセに通っていた。彼はこれまで自分の体のことを揶揄する大人たちへの反発心から、文学や語学などの能力を身につけようと努力したのだった。兄貴は和光大学を卒業後、まだ勉強がし足りないということで関西学院大学大学院へ行く。その後がパリ留学だ。

 僕たち兄弟はコンプレックスの塊だ。僕も前腕に全然筋肉がつかないというコンプレックスをずっと抱えたまま今に至る。母に「お父ちゃんのどこを好きになったの?」と聞いたときに、「腕の筋肉ががっちりしているのがよかった」と言っていたし、やっぱり世の女性は男性の筋肉が好きなんだろう。

©東京キララ社

 この劣等感の話は兄貴の話と対になっていて、兄貴はああいう身体だから、非常にそういう劣等感を感じていて、あの事件に繋がってしまった。そして僕にもそんな劣等感が募っていた。でも僕の場合は兄貴みたいにはならなかった。