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楽な作業に配置されたが…

 課長が軽くうなずくのを見て、私はこのとき確信した。3日後、配役先が発表された。私は洋裁工場だった。

 私の記憶では当時、神戸刑務所には15ほどの工場があり、そのうち3つが洋裁工場だった。洋裁工場では合羽を縫製していた。濃紺の大人用の合羽で、最初は「ケバ取り」をやらされる。「糸切り」ともいい、縫い合わせたときにできる「余り部分」を取り除く作業だ。

 楽も楽で、最低のラクチン仕事。洋裁工場では配役になった全員をまずこの作業につけて担当刑務官が適性を見る。おっちょこちょいは危なっかしくてミシンを踏ませられないからだ。ケガは刑務所の管理責任が問われるため、最もナーバスになることなのだ。「ケバ取り」を見て大丈夫となれば、次にアイロン、そして最後がミシンがけになる。

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 だが、これはいま振り返って思うことだが、洋裁工場はたしかに楽だったが、やくざとして将来のことを考えたら、金属工場に配役されていたほうがよかったかもしれない。

 現役やくざが多く配役される「サムライ工場」なので、将来が嘱望される若手のバリバリとも知り合えていただろうし、いろいろな意味で勉強になっていたはずだ。力仕事なので身体も鍛えられた。それに引き換え、洋裁工場は半数がカタギの年寄りで、仕事を楽した分だけ学びも少なかった。

 私はたまたま懲役を通じてそのことを悟ったが、これはどんな分野においてもいえることだと思う。農家の人は丹精を込めて耕すことで立派な農作物を収穫する。漁師もビジネスマンもスポーツ選手も、楽をすれば、それに見合うだけのものしか手にすることはできない。

「成果は努力に比例する」

 懲役で私が学んだことのひとつである。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。