今ならわかる。はじめから子育てなんてうまくできなくて当たり前
例えば、小学生から中学生、中学生から高校生、高校生から大学生や社会人になるとき。自分がそうなった、というよりも、自分は昨日までと何も変わっていないのだけど、環境や社会がそれを求めることで、はじめは戸惑いながらも、次第にそうなっていった。そんな経験はないだろうか。親になるとは、まさにそんな感じに近い。
親は、子どもの成長と同じように、だんだんと親になってゆくのだ。だから、はじめから完璧な親なんていない。はじめから子育てなんてうまくできなくて当たり前。
今ならわかる。
でも、親になって1年も経たないころの私は、できもしないくせに、
「完璧な親にならなければ!」
なんて、とにかく焦りまくっていた。今思えば「ほほえましい」で片づけてしまいそうになるのだが、本人は必死なのである。
「ほんまにこれでええんかなあ」
ミルクの量にタイミング、おむつ替えに爪切り。お風呂の入れ方に洗い方。特に泣き出されたときの対処などなど、自分の判断が合っているのか常に不安で仕方がない。正解を求めようとネットや育児書、親なんかに判断を仰いでも、人によって話すことは違う。自分の親に至っては自分から相談したくせに、「なぜかイライラ」してしまう始末。もはや自分が手に負えない。
3か月で母子手帳の成長目安に当てはまらなくなった
親業とはまさに自問自答、毎日がちょっとしたパニックの連続なのだ。とはいえ、19歳で母親になった私も、わからないなりに親になろうと頑張っていたほうだと思う。
でもどこかで、いつも不安があった。
不安の出どころの1つは母子手帳だ。母子手帳には月齢ごとの赤ちゃんの成長目安が書いてあるのだが、亮さんは生後2か月ごろから当てはまらなくなっていき、3か月で何1つ当てはまらなくなった。数か月ごとに受ける健診も、はじめこそ成長を楽しみに参加していたが、次第に、
「え? もうそんなことできんの?」
「うそやろ、なんかしゃべってるやん」
他の子と亮さんの成長の違いを目の当たりにして、もう行きたくないと夫に泣きつくのだ。