ナチズムの反省から
じつは、精神医学のなかでも一時期、そもそもうつ病になりやすい性格があるという議論(病前性格論)が、流行した時代があります。これは、おもに戦後ドイツの精神科医がとなえたものでした。
ナチズムが猛威をふるった戦時中のドイツでは、うつ病を含めた精神病を「遺伝的に脳に欠陥がある劣等な人間」の所産ととらえ、患者の人権を剥奪(はくだつ)する蛮行が起きました。その反省から、脳や遺伝子のような生物学的要因に病気の原因を求める風潮をおさえて、「もっと個人の性格や生き方に注目して、病気をとらえなおそう」という動きが起きたのです(16)。
それでは、戦後ドイツの精神医学が主張してきた「うつ病になりやすい性格」とは、どのようなものだったのでしょうか。
専門用語でメランコリー親和型の性格とよばれるその特徴は、先にあげたような一般にいわれる「なりやすい性格」とは、正反対のものです。すなわち責任感が強く、社会の秩序を重んじ、その担い手として献身的に尽(つ)くすことに自分の生きがいを見出すタイプだとされています。
もちろん、このメランコリー親和型の病前性格論が「正しい」のかといえば、こんにちでは疑問とされています。そもそもドイツでこのような学説が形成されていった1950年代は、最初の抗うつ薬(三環〈さんかん〉系抗うつ薬)の発見期にあたり、その後の世界で主流になったのは「うつ病なんて、要は脳内の化学物質の異常なんだから、薬を飲めばいい。性格うんぬんは関係ない」とする、生物学的な治療法のほうでした。
しかし日本のばあいは、ドイツの学説の輸入が進んだ1960年代がたまたま高度成長期、すなわちひとつの会社に定年まで勤め、中途で結婚して家族を養い、(ときとして自分自身の意見は引っこめてでも)その場で与えられた任務を忠実に遂行することをよしとする生き方が、国民の全体を覆(おお)う時期だったために、メランコリー親和型の病前性格論が世界的にも稀(まれ)な定着をみたとされています。(17)
つまり「うつ病になりやすい性格がある」という議論とは、本来は〈1〉「精神病者は遺伝的な劣等分子だ」といったナチス的な優生学の発想に対抗して、患者の権利を守るために提唱され、そして〈2〉高度成長期の日本で「病気になったのもがんばりすぎる性格ゆえだから、あなたは悪くないよ」と、患者の心を支えるために語りつがれてきたものなのです。
それを無視して、病者の人格を攻撃するために「なりやすい性格」を揶揄するなどというのは、まさしく知性を欠いた人のふるまいにほかなりません。
―――
(16)北中淳子『うつの医療人類学』日本評論社、2014年、102・177~178頁。
(17)もうひとつ、日本では1930年代から下田光造の執着(しゅうちゃく)気質論という形で、義務感が強く業務の達成にこだわってしまう「模範的すぎる性格の人」が、うつ病になるとする議論が存在していたという理由もあります。北中淳子『うつの医療人類学』日本評論社、2014年、100~102頁。
與那覇 潤(よなは・じゅん)
1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫、近刊)。その他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)など。
*本記事に該当する章全文をダウンロードしてお読みいただけます[PDF/1.93MB]