「新型うつ病」に、固有の特徴はあったのか
「新型うつ病」の特徴とされたことのひとつひとつを見ても、たとえば精神病と認定されたら一生、閉鎖病棟から出られないといった偏見が残っていた時代なら、「私はそんな病気ではない」と否定するのは自然なことだし、逆にそのような偏見が解消されているなら、より容易に病気を受け入れられるのも当然です。
職場でひどい人権侵害にあっても「セクハラ・パワハラ」ということばさえなかった時代なら、「弱い自分が悪いんだ」と泣き寝入りせざるをえない人が多かったろうし、そうでないなら、カウンセラーに会社の愚痴(ぐち)くらいこぼすでしょう。
このような時代の変化では説明のつかない、「新型うつ病」固有の特徴らしく思われる唯一のものは、気分反応性の存在――つまりあらゆる刺激に反応できなくなるのではなく、たのしい刺激ならポジティヴに反応できる(海外旅行には行ける)ことです。しかし、こちらも別の意味で、本当に新型(ないし非定型)うつ病の特質といえるのかには、疑問が呈されています。
病気としては従来どおりのうつ病なのだが、その初期ないし回復期にあるために、たんに「症状が軽い状態」なのかもしれないからです。(20)
入院時には「重症、メランコリー型」のうつ病だと鑑別されていた私の意見では、そもそも医学用語ですらない「新型うつ病」を振りまわすくらいなら、精神科医は患者に「私には、あなたは病気には見えない。その診断に納得がいかなければ、他の医師を受診してほしい」と告げるべきだと思います。
「うつ病ではあるけれど新型(非定型)だから、症状としてはただのなまけと変わりません」といっているに等しい診断は(21)、患者の自尊心を傷つけながら「病名」だけはつけて、しっかり診療報酬をもらいたいという、医師のエゴなのではないでしょうか。
*ゆとり教育
知識量よりも発想の柔軟性や、コミュニケーション力が重視されるサービス産業型の社会への転換(本書6章259頁)を見すえて、おもに2000年代に展開された教育政策。授業時間や教授内容を減らしすぎ、学力低下を招くとして同時代には激しい非難を受けたが、のちに錦織(にしこり)圭や羽生結弦(ゆづる)など「ゆとり」を活用して学業外で成果を出す世代が出現すると、批判は沈静化した。
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(18)坂元薫『うつ病の誤解と偏見を斬る』日本評論社、2014年、1・4・9頁。
(19)気づかれたと思いますが、このたとえ話のうち仮定の部分は、終身雇用が「全員」を覆ったという設定と、病気の発症が「完全に」ランダムだという想定のみです。内海健『双極II型障害という病 改訂版うつ病新時代』勉誠出版、2013年、214~217頁。
(20)坂元薫『うつ病の誤解と偏見を斬る』日本評論社、2014年、4~6頁。同書の著者が診療した患者には、意欲を取り戻そうとして学生時代にボランティアをした離島を訪れたことを、「休職中に旅行とはなにごとだ」とバッシングされた方もいたそうです。
(21)一例として、大手経済誌が運営するウェブサイトの2009年9月の記事では、筑波大学教授の精神科医が、「ワガママちゃん(未熟型うつ)とメランコリー型(従来型うつ)の比較」なる図表をアップしています(ダイヤモンド・オンライン:松崎一葉「職場の若手人材に急増する『未熟型うつ』の正体」2頁)。そこまでいうなら、なぜ「それは単なるワガママで、うつ病ではありません」と書かないのか、きわめて不思議です。