『spring』(恩田陸 著)筑摩書房

「『蜜蜂と遠雷』という作品でピアノコンクールを描いたのですが、さらにハードルを上げるとしたら今度は何だろうと考えて、じゃあ次は動きも入るバレエにしよう、と」

 恩田陸さんの最新作はバレエの天才が主人公だ。その名も萬春(よろずはる)。名前に「一万もの春を持」つ。8歳でバレエに出会い、15歳で海を渡り、やがて無二のダンサーにして世界的な振付家となってゆく過程を、同年代のダンサーや幼い頃から彼を見てきた叔父などの視点から鮮やかに描いていく。

「萬春というダンサーを描きたかったのも勿論ですが、先生や周りの人などを含めたバレエの世界、そしてバレエそのものを描きたかったんです」

ADVERTISEMENT

 初めて振りを付けた相手となる深津純、バレエから音楽の道に進み、やがて春の振付作品に音楽を提供することになる滝澤七瀬、ドイツのバレエ・スクールで出会う個性豊かなダンサーたちに、振付の師と仰ぐ芸術監督。彼らに出会うことで春は触発され、振付を作り、その踊りと演出で世界を魅了してゆく。

「才能の発露の仕方にとても興味がありました。『蜜蜂と遠雷』を書いた時も思ったのですが、才能のあり方って本当に色々で、名プレイヤーでなくても教えるのが上手かったり、サポートすることでインスピレーションを与えることもある。そういう意味での才能を書きたかったので、不幸な生い立ちや足を引っ張り合うようなドロドロした関係は出てきません。春が親しくなっていくのはどういう人だろう、というところから組み立てていきました」

 著者がこう語るように、春と、彼を取り巻く他の才能との関係は様々だ。補完し合うような関係もあれば、響き合うように刺激し合う関係、バレエというものに恋い焦がれる者同士……。彼らが起こす化学反応と、そこから春が振付を完成させていく様子、さらには春が作り上げた公演の描写も楽しめる、贅沢な読書体験となる。

 構想・執筆10年。まずはひたすらクラシックバレエの公演を観たという。

「私はもともとミュージカルやコンテンポラリーから入ったので、小説を書くと決めてからクラシックを全幕観るようになりました。クラシックの基礎がないと、コンテンポラリーも踊れないんです。

恩田陸さん

 ダンサーの方にも取材しました。Noismというコンテンポラリー・カンパニーを率いる振付家・舞踊家の金森穣さんが一人で踊っているのを観て、これはすごいと思ったんです。とても明晰な方で、丁寧に説明してくれるのですが、踊っている時に何を考えているか聞いたら『何も考えてないし、言語化できない』と。じゃあ書けないじゃん! と思ったのですが(笑)、書けないのを書くのがこの商売だなと思って頑張りました」

 跳ねる、芽吹く、湧き出す、といった「spring」が意味する動詞が各章タイトルとなっており、最終章「春になる」は、春の視点から描かれる。

「他の人の視点からでは分からないところもあったので、最後は萬春自身に語ってもらうことにしました。天才を描くと、どうしても理解不能なモンスターになってしまいがちですが、そうはしたくなかったんです。

 あまり自作の登場人物に執着せず、書き終わったら忘れる方なのですが、今回は連載が終わって春と別れるのがすごく辛かった。こういう経験は初めてでした」

 プロットは作らず書きながら考えるというが、「今回は、最後だけは決めていました」。天才が辿り着いた境地を、ぜひ堪能してほしい。

おんだりく/1964年、宮城県出身。92年『六番目の小夜子』でデビュー。2005年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞および本屋大賞、07年『中庭の出来事』で山本周五郎賞、17年『蜜蜂と遠雷』で直木賞、本屋大賞を受賞。