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「箱根駅伝優勝」と「早稲田から世界へ」。復活を期す名門大学競走部が目指すもの

「箱根駅伝優勝」と「早稲田から世界へ」。復活を期す名門大学競走部が目指すもの

『俺たちの箱根駅伝』(池井戸潤)を読む #2

6時間前

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書, 社会, 企業

note

昔は喧嘩ばかりの師弟が今は

――小説『俺たちの箱根駅伝』の中での、師弟関係に重なる部分もありますか。

花田 そうですね。現役時代は瀬古さんと喧嘩することが多かったんですが、自分が年齢を重ねて指導者になってみれば、瀬古さんの偉大さ、懐の広さがわかるようになりました。GMOを辞めるタイミングで相談に行ったときには、「お前には早稲田の監督があっている」「大学の指導の方が合っていたんじゃないか」と言われて。実はSB食品での現役時代にも、「早めに引退して早稲田の監督をやれ」と言われたことがあったんです。でも、選手を続けたい気持ちがあって迷っているうちに、後輩の渡辺(康幸)くんが先に引退して、長距離ブロックを指導することになりました(後に駅伝監督に就任)。

 そんな経緯もあったので、自分としては早稲田で指導することはないだろうと思っていたんですが、巡り合わせというか……瀬古さんも私のことをよく知ってるから、迷っている私を誘ってくれたんだと思います。海外に出してもらうタイミングだったり、選手としての岐路であったり、節目節目でいろいろとサポートしていただいて、今にまでその関係性が続いている。そんな師弟関係の在り方は小説と通じる部分があるかもしれません。

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 特に私は高校まで指導者がいなかったので、私にとっては瀬古さんが初めて専門に指導してくださった方でした。早稲田に勧誘されたとき、瀬古さんは引退したばかりの30代前半。ご自身の師である中村(清)先生の指導を継いで、家庭的な指導を目指されていたので、「東京に来たら東京の親だと思って何でも言え」と言われましたね。それを真に受けて、平気で遠慮もせずに文句を言っていたし、「師は弟子の8倍を学べ、と中村先生の本に書いてありますよ」なんて、立てついていましたから、よく「バカヤロー」と怒られました(笑)。

 今になってみると私と瀬古さんは本当の親子みたいな……私もやんちゃだったので、昔は喧嘩ばっかりしていましたけど、この歳になってものすごく仲がいいですね。だから自分も、相談してきてくれる子たちには、遠慮せずに24時間365日話を聞くと伝えています。選手を強くすることも大事ですけれど、大学生活の4年間という時間は限られていて、卒業後は社会に出さなければならない。彼らの次の人生のことも考えて、自分の子供、自分の弟だったらと考えながら、話をしています。