壮さんは日を追うにつれ食事や水分を呑み込むのが難しくなる。次第に目を閉じている時間が長くなり言葉も減っていく。幸子さんは若い頃、必ずしも仲良し夫婦だったわけではなく、1年以上話をしなかった期間もあったという。それでも壮さんのベッドの横に自分の布団を敷き毎晩付きっ切りで介護する。
突然、父はベッドの上で小学校の教師に戻った
ほとんど意識を失っている壮さんが、ある日突然、話し始めたという。
「今、庭に咲いている花は何ですか?」
これは小学校の教師に戻って子どもたち相手に授業をしているつもりに違いない。そう感じた幸子さんは答えた。
「はい、アジサイが咲いています」
「アジサイはどういう字を書きますか?」
幸子さんが辞書を引いて「紫に太陽の陽に花と書きます」と答えると、壮さんは、
「よくできました。これからも辞書を頼って知識を増やしてください」
死が近づく中、刹那、昔の記憶を取り戻したのだろうか。
カメラは壮さんの目元にぐっと迫る。閉じていることの多い瞼を一瞬カッと見開き、すぐにギュッとつぶる。まつ毛がびっしり伸びているのが際立つほどのドアップで、懸命に生きようとする命を描く。NHKの新人研修で教わったテレビカメラの撮り方を思い出す。
「アップが足りない。もっとグッと対象に迫ってドアップ過ぎるくらいのアップで撮るんだ」
壮さんの呼吸が荒くなり血圧も40まで下がった。医師は「きょうあすにも」と告げる。幸子さんは椅子をベッドの横に運ぶ。そして冒頭の「一年生になったら」のシーンとなる。この曲には「百人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」という歌詞がある。幸子さんは壮さんと一緒に富士山に登ったことがあるという。歌い終わると「いつかまた行こうね」と語りかけた。