昆虫図鑑といえば「クマチカ」のころ
福岡 違うのが2羽、一緒に採れました。これはジャノメチョウとベニシジミかな。
舘野 ほんとだ、ここでジャノメチョウを見たのは初めてです。写真を撮っておこう。
<山を登り始める。福岡ハカセは緑の虫かごを装着>
舘野 僕がヒメツチハンミョウやヨツボシモンシデムシの絵本を描いていたときには、毎日この山に入っていました。ちょうどこのあたりが絵本に描いた雑木林のモデルになったところです。
福岡 舘野さんのタッチはまさに細密画で、今回描いていただいた『ツチハンミョウのギャンブル』の装画も、まるでアンリ・ルソーの絵のようです。もともと熊田千佳慕さん(通称クマチカ)のお弟子さんだったのですよね。
舘野 母が絵をやっていまして、子供のころ、すぐ近所にクマチカが住んでいたので、連れて行かれたんです。当時は、別に昆虫の絵を習うというのではなく、好きな絵を描いていましたけれどね。
福岡 私の世代の虫好きにとって、クマチカの昆虫図鑑といえばバイブルのようなもの。今の図鑑は全部、写真になってしまったけれど、昔はすべて絵でしたからね。
舘野 僕が虫の絵で食っていこうと決めたのは25、26歳で、その頃に改めてクマチカに「弟子入り宣言」して、生意気にも技術は教えないでくれと頼んだんです。教えてもらったのは、昆虫の生き死にをどう描きどう見せるかという表現上の考え方ですね。クマチカは「ちいさな命の美しさ」を追い続けた人。「愛するから美しい」というのが、師の座右の銘です。
虫取りおじさん、オジサンに怒られる
<近くで草刈りをしていたオジサンから声をかけられる>
――あんたたち、何してるの?
舘野 あ、昆虫採集です。
――あんまり、こっちに入ってきちゃダメだよ!
福岡・舘野 はーい。
舘野 怒られちゃいましたね。最近、昆虫採集も大変なんですよ。
福岡 昔は何にも言われなかったのにね。あ、ノコギリクワガタの頭部が落ちている。
舘野 (地面にしゃがむ)ここで、オオヒラタシデムシが交尾していますよ。そのすぐ横で幼虫がミミズの死体を食べている。これが同じオオヒラタシデムシの死体だったりすることもある。ちょっと、えげつない場面ですが。
福岡 これが、自然というものですよ。人間も似たような営みをやっているわけですから。舘野さんはこういうのを見ると、その場でスケッチされるんですか?
舘野 いや、スケッチよりは言葉をメモしますし、写真も沢山撮ります。
そうそう、このあいだ安曇野に行って常念岳に登ってきたんですよ。高山蝶の絵本のために。まだ季節が早すぎたんですが、たくさん写真を撮った中にミヤマモンキチョウの幼虫がいました。これはうれしかった。
福岡 おお、私たち昆虫オタクのヒーロー、田淵行男さんが通い詰めていた常念岳ですね。
舘野 田淵行男さんは、私にとって「神」のような存在ですよ。高山蝶に魅せられて、素晴らしい本を出された方です。あんな本を作ることができたらなと思い続けて、はや何年かな。
福岡 もともとは山岳写真家だけど、当時カラーフィルムがなかったので、細密画でチョウを描いたのが素晴らしくてね。熊田千佳慕と年齢も近かったのでは。
舘野 クマチカより6歳年上だったと思います。明治生まれの一徹というところが見事に共通しています。
※後編へ続く
「本気の昆虫採集」おじさん2人旅 共食い編
http://bunshun.jp/articles/-/8099
ふくおか・しんいち
生物学者。1959年生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』など、「生命とは何か」を動的平衡から問い直した著作を数多く発表。近著『福岡伸一、西田哲学を読む』、最新刊『ツチハンミョウのギャンブル』。
たての・ひろし
絵本作家。1968年生まれ。札幌学院大学中退。幼少時より熊田千佳慕に師事。1996年より神奈川県秦野で生物調査のかたわら、生物画の仕事をスタートする。絵本に『しでむし』、『ぎふちょう』、『つちはんみょう』、『宮沢賢治の鳥』(文・国松俊英)など。図鑑も手がける。
2018年7月14日~9月24日、町田市民文学館で「舘野鴻絵本原画展 ぼくの昆虫記」が開催される。