昭和9(1934)年からの法隆寺修復の指揮をしたのが宮大工西岡常一(にしおかつねかず)(1908―1995)だった。特に金堂の解体ではその屋根が「入母屋」作りであることを発見。その後も昭和35(1960)年に明王院の大修理、45(1970)年からは薬師寺金堂、西塔、中門など次々と再建。その業績に文化功労者など数多くの栄誉が与えられた。西岡と親交のあった作家の塩野米松(しおのよねまつ)氏が綴る。
この人をいう時いつも「最後の宮大工」という言葉がつく。西岡氏は今年の4月11日86歳で亡くなったが、宮大工という仕事は今もあるし、宮大工は今もいる。彼が「最後の」といわれる所以(ゆえん)はこうだ。
日本は美しい国だといわれてきた。住んでいる私たちもそう思ってきた。しかし美しい日本とは何だったのだろうか。東京が美しいだろうか。大阪が美しいだろうか。戦後、私たちが作ったものは都会だけである。山を崩し、沼を埋め、草地に土を盛って家と町を作ってきた。これのどこが美しいだろうか。むしろ美しさを壊してきただけである。美しい日本を守り、維持することすらできなかったのである。

法隆寺が世界遺産になった。この寺は美しい寺である。日本を代表し、古代の木造建築をそのまま残した見事な日本の美である。今の奈良ではこうした美は点のように散在するしかないが、この美しさには心が静まるものがある。法隆寺の伽藍(がらん)を守ってきたのは「国民みんな」のように思っているがそうではない。日本人全体で大事にこうしたものを守ってきたわけではない。なにしろ、この国はいつでも戦いの歴史であったし、災害の歴史である。為政者は自分の都合のいいように自然を考え、人の群れをいじり、物を扱ってきたのである。斑鳩(いかるが)にある法隆寺の建物を大事に守るべく命をかけてきた為政者などいないのである。ひもじい思いの中で法隆寺の伽藍を守ろうとした人などいないのである。今は世界に誇る世界遺産であるが、この建物が1300年間昔のままに保たれ、今なお凜としてそこに建っているのにはちゃんと訳があるのである。
法隆寺の伽藍の西側には西里と呼ばれる集落がある。西岡が生まれたのもその里である。この集落は法隆寺の維持のためにあった。左官がおり、屋根屋がおり、石工がおり、仕事師がおり、大工がおり、それらの諸職をまとめる宮大工の棟梁がいたのである。彼らは小さいながらも畑や田んぼを持って仕事がないときは野に出て自給用の野菜や米を作っていた。自分の山には道具を作るための樫や修理材になる松や杉などの木を育てていたのである。
西岡の家はそうした大工の家である。彼の家が「棟梁」の役を寺から受けたのは3代前の常吉の時であった。それ以前には他の家が棟梁職を継いできたが、廃仏毀釈や棟梁の座に甘え衰退していったのである。他の諸職の人達も消えていった。時代が彼らの存在を認めなかったのである。常吉はそうした時代の中で衰退した寺を守るべく、また1300年間引き継がれてきた宮大工の技を保つために孫の西岡常一に英才教育を施した。それはこのままではすべてが滅びてしまうという危機感と、棟梁の職に対する責任と誉(ほま)れのためであったかもしれない。代々斑鳩の大工に伝わる口伝が宮大工育成の基本である。すべての基礎は農業にあるということから農業高校へ入学、しばらく畑を耕させ、現場へ。職人の心を知るために台所から下仕事までし、やがて棟梁の役を継ぐのである。
戦争、結核という最悪の時代の中で彼は代々受け継いできた土地を売り食いつないだが、祖父の教えを守り民家の仕事はせず、毎日寺を回り修理の個所を捜し、手を入れ、いつか使うだろう材を整理し、寺を守り通してきたのである。金銭を先に考えた民家の仕事は金にはなるが技が落ちるからと禁じられていたのである。日本はすべてを仕方がなかったと観念させるひどい時代をくぐり抜けてきた。その時多くのものを失った。そしてその時代を過ぎても仕方がないと思い続けている。失ったものを忘れてしまったのである。しかし自分たちは多くのものを失ったが、守り残すものを残した人たちもいたのである。
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source : 文藝春秋 1995年8月号