西岡常一 法隆寺の鬼

小川 三夫 鵤工舎総棟梁
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「法隆寺最後の宮大工」西岡常一(つねかず)(1908〜1995)は、法隆寺金堂の修理や薬師寺金堂・西塔の再建に棟梁として携わった。師の情熱を唯一の内弟子である鵤工舎(いかるがこうしゃ)の総棟梁、小川三夫氏が回想する。

「法隆寺に鬼がいる」とは、西岡棟梁のことです。

 身長は165センチの私と同じぐらい。作業場では乗馬ズボンに足元はゲートル、頭はハチマキ。そのハチマキにはオーデコロンをちょっとふる、茶目っ気のある人でした。

 棟梁を「優しい」という人もいますが、それは道具を置いて裏方に回った後半生のことでしょう。私が弟子入りした頃の棟梁は、まさに鬼でした。棟梁はよく「人に仕事を頼むなら、自分が思っている半分できればよしとせよ」と言っていましたが、確かに並みの大工の2倍は仕事ができる人でした。「こうやれ」とも「違う」とも言わずにその腕前を見せつけられるので、ただただその存在が怖かった。棟梁がいるだけで仕事が進み、建物が出来ていく。そういう人でした。

西岡常一 Ⓒ共同通信社

 棟梁の門を叩いたのは昭和41(1966)年、私が高校3年の時です。高2の時、修学旅行で栃木から奈良を訪れた私は、1300年前に建てられた法隆寺の五重塔に感銘を受けました。「これだ」と考えたものの、どうすればいいかわからない。奈良県庁に行き、「こういう仕事をしたいのですが」と言うと、「法隆寺に西岡楢光という棟梁がいる」と教えてくれました。

 楢光さんを訪ねた法隆寺で出会った大工さんに「西岡さんはどちらですか?」と聞いたら、逆に「西岡誰だ?」と問い返された。下の名を忘れてしまった私は、答えに窮したのですが、それが運命の分かれ道でした。「俺が西岡だ」と言った、その人が棟梁だったのです。楢光さんは棟梁のお父さんでした。

「宮大工では食えない」という理由でこの時は断られましたが、次第に高度経済成長の恩恵が広がり、寺にもお金が回るようになった。棟梁から「貴君一人位なら来られても差つかえありません」という手紙を受け取ったのは3年後の昭和44年。法輪寺三重塔再建が始まった頃です。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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