梅棹忠夫 「共有」の開拓者

小長谷 有紀 国立民族学博物館名誉教授
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民族学で膨大な研究業績を残した梅棹忠夫(1920〜2010)。著作集の編纂に携わった国立民族学博物館の小長谷有紀名誉教授が、昭和の「知の巨人」の生涯を語る。

 梅棹忠夫は20世紀を通じて日本人の知的好奇心を大いに掻き立て続けた「知の巨人」である。その人生は昭和の64年間を覆っている。すなわち、梅棹は昭和のすべてを生きた。長い昭和の中で最大のエポックメイキングが第二次世界大戦の終結であることに大方の異論はあるまい。人々の認識や世界観に対して敗戦はとてつもない衝撃を与えた。それまで信じていた、あるいは信じさせられていた信条が崩れたのだから。

 しかし、梅棹の場合は敗戦で夢から覚めたわけではない。24歳でモンゴル草原に出向いて学究に励んでいたし、またチベットへ行くためなら軍部との協力も辞さないとする今西錦司の下にいたから、全体主義的な戦争賛美からは、もとより覚醒していた。彼にとって敗戦は自由の獲得にほかならなかった。

梅棹忠夫 Ⓒ文藝春秋

 もし、梅棹忠夫に尋ねることができたなら、次のエポックメイキングとして彼は何を選ぶだろうか。人々にとっての意識変容という面から、昭和45(1970)年の万国博覧会を選ぶのではないか、と私は思う。

 万博開催に先立ち、全国の教育委員会の関係者を対象にした講演会で梅棹は、日本人の約半分が万博を見て世界を知るだろうという予想と、「未来について、国民のひとりひとりが真剣にかんがえるという態度が定着する」という予想を披露し、また、「この仕事のために、これに情熱をそそぎこんだひとが膨大な数いるということは、日本の今後の文明にたいへんおおきな影響をおよぼすだろうとおもうのです。夢をもって、その夢を実現させる機会をもった。デザイナーにしても、日ごろやっている仕事の2けた、3けた、4けたぐらいおおきい。それだけ自分自身をふくらますことができた。それだけ大型のサイズになった日本人が、これによってたくさん出現した」と述べ、日本人の知的活動が格段と飛躍したことを愛でた(『梅棹忠夫著作集』第13巻所収)。

 この万博の跡地に創設された国立民族学博物館は文化人類学を中心とする世界研究の拠点である。そして、梅棹自身は学術マネジメント能力を飛躍させた。

 学術マネジメントといえば、すでに昭和30年、梅棹は京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊でその力を発揮していた。文部省による戦後初の海外学術調査である。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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