“アジア的大停滞”に陥らず維新をなしとげた。日本の奇跡を生みだしたものは──
――二〇一二年は尖閣問題、竹島問題など、日本とアジアの関係を改めて考えさせられる出来事がいくつも起こりました。この折に、アジアの国々とその歴史について、数多くの小説やエッセイを残した司馬遼太郎さんの考えをたどることは大変意義深いことと思います。そこで本日は、司馬作品に造詣の深い松本健一さんと関川夏央さん、そして『未完のファシズム』で今年の司馬遼太郎賞を受賞された片山杜秀さんにお集まりいただきました。
松本 今回再録している「日本、中国、韓国 歴史の風景」は一九七一年、司馬さんが四七歳のときにまとめられた談話で『坂の上の雲』が新聞連載の終盤にさしかかり、『街道をゆく』の連載がスタートした頃にあたります。
この談話を読むと、司馬さんのアジア観について気づくことがいくつもあります。第一に日本が同じ儒教圏である中国、韓国とはいかに違うかが全体を通して述べられています。日本に律令体制を取り入れようとした大化の改新から中国、韓国とは異なる道を歩み出し、絶対的な中央集権が成立することはなく、競争の原理が働いている。それが明治維新までつながり、「明治維新を東アジア的な場所から見ると非常にふしぎな事件」となる。儒教に代表される「アジア的停滞」を超えるシステムをつくった日本は、アジアではない、というのです。
司馬さんは「アジア的停滞(停頓)」という言葉を盛んにつかいました。マルクスやマックス・ヴェーバーと同じように、アジア的専制が社会の停滞をもたらすと捉えていたわけです。七〇年代初めといえば、中国は文化大革命のさなかで圧倒的に貧しく、韓国も台湾もまだ戒厳令が施行されていた時代です。現在のような東アジアの隆盛と物質的な豊かさを想像した人はほとんどいなかったでしょう。
関川 日本はアジアではない、という言い方には意外な感じを受けますが、司馬さんが「日本とは何か」を考えた末の一つの到達点といえます。この十五年後に連載がスタートする『この国のかたち』第二回「朱子学の作用」でも、「日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどりはじめるのは、鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする“百姓”の政権が誕生してからである。私どもは、これを誇りにしたい」と書いています。つまり鎌倉時代から日本はアジアではなくなった、と考えていたのでしょう。
朱子学を、「一つの理屈を崇高なものにし、人間の日常感情として為しがたいものをなす」「“正義”を一点設けて、それを論理づけ、ひとびとに実行を強いる体系――もっと粗々(あらあら)に言いきれば、イデオロギー」と説明しています。「正義」と「イデオロギー」は司馬さんが嫌いな言葉で、好きな言葉である「リアリズム」とは対極にあります。
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source : 文藝春秋 2013年03月号