ポストコロナの生命観

山極 壽一 総合地球環境学研究所 所長
福岡 伸一 生物学者
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ロゴス化が行き過ぎた今こそピュシスに立ち戻れ

「ロゴス」と「ピュシス」の生命観

 福岡 日本国内では新型コロナウイルスは落ち着きを見せています。ただ、1度はウイルスの封じ込めに成功したかに見えた欧米では、冬の訪れとともに新規感染者数が過去最大を更新しており、コロナ禍はまだ当分続くことが予想されます。

 こうした状況を見ると、私たちは生命と自然に向き合う哲学を、根本から転換しなければならない時に来ているように思います。人類は言語や科学といった論理(ロゴス)の力によって自然(ピュシス)を細かな要素に分け、因果律を見出してきました。それによって科学技術は輝かしい進歩を遂げ、今日の繁栄がある。

 しかし、人間の生命そのものが本来ピュシスだという点を、私たちは忘れてしまったのではないか。また、東洋哲学や日本固有の思想のなかに、現代社会の行き詰まりを打開するヒントがあるのではないか。私は、近著『ポストコロナの生命哲学』(共著)でもロゴスとピュシスの観点から新たな生命観を論じました。今日は山極さんとも、そうした観点で、これからの100年を生きる哲学についてお話ししたいと思います。

 山極 そうですね。人類はロゴスの力があったからこそ、文明を作り上げてきました。狩猟採集生活から農耕牧畜生活に移行し、定住して所有物を増やすようになり、社会や経済のさまざまな制度も作り出して支配地域を広げてきた。今日の繁栄はそのうえに成り立っているものであり、ロゴスの功績を否定しようとは思いません。しかし、人類はロゴス化されたものを絶対視するあまり、ピュシスを感じることを蔑ろにしてきたように思います。

 僕はゴリラの研究のためにアフリカのジャングルに何度も足を運びましたが、その経験から感じるのは、「人間以外の動物たちにとって、自然はすべて繋がっている」ということです。あらゆる動物は食物連鎖と共存の絶妙なバランスの中で生きており、気候や地勢、植生も含めたすべてがピュシスとなっている。

 福岡 ところが人間はピュシスの連環を全体として感じることよりも、要素に分割してロゴス化することに汲々としてきました。

 山極 それによって、ピュシスの連環は現実にも断ち切られています。たとえば日本は高度成長期以降、土砂災害を防ぐという名目で砂防ダムを無数に作った。それで土砂崩れは減ったかもしれない。しかし川を堰き止めたことで、山の有機物が海に流れ込まなくなり、海の生態系がやせ細った。すると、魚を餌とする鳥が山に糞として栄養を運んでくるサイクルが崩れてしまった。そうなると結果的に山の植生にも悪影響を及ぼし、却って山の保水力が劣化しかねないことになります。

 福岡 そうしたロゴスの隙間から、制御不能なピュシスとしてのウイルスが溢れでて、自然界が人類に逆襲を仕掛けてきたのではないか――私にはそんなふうに思えます。

自然を失った人類の不自然さ

 山極 人類は言語を獲得したことで認知能力を広げてきました。ただ、言語が拡張したのは視覚と聴覚の領域が中心です。だから、味覚や嗅覚を表す言葉は貧弱ですね。

 福岡 確かに。たとえば匂いを表現しようとすると、どうしても「〇〇みたいな匂い」といった曖昧な言葉になってしまう。ピュシスはロゴスでは記述しきれないのです。しかし、科学技術は人間の認知能力の拡大に沿って進歩しました。インターネットにしても拡張現実のようなテクノロジーにしても、人類がロゴス化してきたのは視覚優位、聴覚優位の世界ですね。

 山極 その結果、私たちはAIをはじめとするテクノロジーがあらゆる問題を解決してくれるという幻想に陥っているのではないか。自然の一部であるわれわれの身体はいずれ死を迎えて自然の連環の中に戻って行くわけですが、極論すれば、そうした意識さえ薄れてしまっている。

 それは人類が本来持っている自然性を考えると「不自然」なことなんです。視覚や聴覚はわれわれが持つ感覚の一部に過ぎないのに、人類は科学が拡張した世界をリアルだと錯覚して、身体をそれに寄り添わせてきたのではないか。

 このままロゴス化が進むと、何かとんでもなくヤバいことが起きるんじゃないかという予感がしますね。

ジャングルは言葉ではあらわせない

 福岡 ウイルスをロゴス的に捉えるなら、それが体内に入った結果われわれが病気になる、という意味で、ウイルスは悪者です。しかし、ウイルスは宿主を殺すことを目的としているわけではありません。たまたま入り込んだ細胞の中で、その細胞の資材を借用して、自分の遺伝子をコピーしているに過ぎない。一方で、ウイルスに感染することによって、遺伝子の一部が親から子へではなく、個体から個体へと水平的に移動することも知られています。そう考えると、ウイルスは一方的な悪者というわけではなく、利他的存在であるともいえる――このように、自然界のありかたをピュシス全体として捉えることが必要ではないかと思います。

 山極 その視点は、ジャングルを見るときにも通じますね。ジャングルに住む動物たちの間には、言葉では表現できない、ある種のネットワークのようなものが形成されているのです。たとえば何かが起こると、その場にいるさまざまな種類の動物や鳥たちが一斉に注目したり、一斉にダーッと逃げたりする。同じタイミングでそれぞれの動きを変えることがあるんです。

 福岡 私も半年ほど前にガラパゴスに長く滞在していたので、その感覚、よくわかります。種を超えて、そこにいるすべての生き物が、同じ磁場のなかで情報交換しているような不思議さがある。

 山極 そう、彼らはジャングルというひとつの空間の中で、「気」のようなものを共有しているように見えます。それは普段は意識されているわけではない。ただ、外部から何らかの異物が紛れ込んだときなど、あたかも水の表面に輪が広がるように、その場にいるすべての動物が異常を察知するのです。

 福岡 別の種の動物たちが離れていてもお互いに影響し合うところは、量子論的な不思議さがありますね。

 山極 動物たちはジャングルに起きた異変を、視覚や聴覚だけではなく、身体全体で感じているわけです。人間社会でもこうしたことは絶えず起こっているはずなのですが、人間は常にそれを言葉に還元しようとする。だから、われわれには動物たちのような身体的な反応が消えてしまっているような気がしますね。

 福岡 ピュシスの声を聞けなくなった人類は、種として存続するには非常に危険な状態だと思います。

科学だけではわからない

 山極 さまざまな種が場を共有するジャングルとは異なり、人類は自分たちだけの場として文化を作り上げてきました。その過程でロゴスが一人歩きして、人類は自然の本質を見誤ってしまったわけです。なぜそうなったかというと、科学は要素還元論的に自然現象を分析するために、動きを「止めて見る」ことに集中してきたからです。しかし本来、自然は時間の中で絶えず動きながら変化しているものであり、ある瞬間だけを切り取って分析しても、本当に自然現象を理解したことにはならない。

 福岡 生命はダイナミックな分子の流れの中で、絶え間なく分解と合成を繰り返しながら、バランスを維持しています。約100年前の米国の生化学者ルドルフ・シェーンハイマーはこの流れこそが生命の本質であることを見抜きました。「動的平衡」です。しかし、そうした動きを止めて見てきたのが科学ですね。たとえば生物学では細胞の動きを止めて観察したことで、ミトコンドリアや葉緑体、小胞体などが見分けられ、それぞれ名前が付いている。でも、生きている細胞では絶えず膜が動いているから、それぞれの組織に境界はないんです。

 山極 そう、生命現象の本質は時間の流れのなかで大局的に捉えなければわからない。ところが生物学は、細胞生物学から分子生物学、そして生物物理学へと、逆に微細化し、瞬間を切り取る方向へと進んでいる。

 福岡 昔は生体の中での実験(inイン vivoヴィヴォ)が主だったのに、試験管の中での実験(inイン vitroヴィトロ)がメインになり、いまやリアルな実験をせずコンピュータ・シミュレーションで完結する「inイン silicoシリコ」という手法が台頭している。ピュシスのロゴス化が、極限まで進んでしまった感じがあります。

 山極 福岡さんの動的平衡の指摘からもわかるように、自然を理解するうえで本来「時間の流れ」は切り分けられないものですよね。その点において、欧米の科学者たちのアプローチと日本の科学者のそれがかなり違うこともあります。僕はフィールドでの調査において、それを思い知らされました。

 福岡 ほう、欧米の研究者と日本の研究者の違いはどこですか?

 山極 欧米の研究者たちの考え方は、つまるところ「個体中心主義」と「計量主義」に帰着します。個体の行動を徹底的に追いかけて、数値を計測する。たとえば食べるという行為について「ゴリラが何回、口に手を運んだか?」を徹底的に計測し、データ化するわけです。彼らは何事も数値に落とし込むことに非常に熱心で、データを積み重ねることで、群れ全体のまとまりや行動を理解しようとします。

 福岡 まさに要素還元主義ですね。

 山極 それはもちろん科学的に正しいアプローチではありますが、ゴリラの行動には数値化できないものがあることを、彼らは見落としてしまっているのです。ゴリラの行動は時間の流れのなかで絶え間なく変化していきます。それを無理やり数値化しようとすると、たとえば10分間ごとに時間を区切り、最初の30秒の行動だけを記録して、その30秒間の行動が10分間の動きであるとみなすような操作が必要になってくる。

 福岡 そんな数値の取り方に無理があることは、門外漢の私にも理解できます。あまりにもロゴスに徹してしまうと、逆に自然の本質が見えなくなってしまう。

人間もゴリラの「分配」に学べ

 山極 一方、僕ら日本の研究者はそうした数値ではなく、個体同士の関係性――「オスとオスが会った時に何が起きるのか?」「喧嘩はどういう結末に終わるのか?」――といったストーリーを追いかけることに着目してきました。そうした関係性を結合してゴリラの社会構造を描くのが僕らの関係論です。

 福岡 数値ではなく関係性に着目して、ゴリラの社会に食物分配があることを発見したのが、山極さんの業績のひとつですね。それを発見したきっかけは何だったのですか?

 山極 僕らはニホンザルを見てからゴリラの研究に行ったから、ゴリラだけ見てきた欧米の研究者とは考え方が違います。ニホンザルの研究では、個体識別をし、その関係性に着目してきました。

 欧米の研究者は、「どの個体が優先的に食物をとるか?」という観点で数値を測ります。すると、データからその多寡が見えてくるので、エサ場を占領した方が優位だと考える。でも、ニホンザルを見てきた僕らからすると、そんなのは順位でも何でもない。たとえばゴリラは体の大きな個体が小さな個体に食物を「譲渡する」場合があると分かってきた。僕は、これを1992年の論文で発表しました。ただ、それはフルーツなど強く競合する資源がないマウンテンゴリラの話。その後、21世紀に入ってガボンの低地で別のゴリラの調査をし、実際に食物分配があることが分かりました。

 福岡 ゴリラの食物分配には、どんな意味があるのでしょう? ある種の共感力の発露がある?

 山極 いや、その前段階として、自分が力を振るうだけでは仲間がついてこないということがあります。ゴリラもチンパンジーも、オスは見捨てられちゃう可能性があるんですよ(笑)。分配にあずかったメスが、翌日にそのオスと交尾することが確認されていますから。いくら強いオスでも、メスが拒否したら群れを作れない。

 福岡 これは人間の男性も大いに見習うべきエピソードですね(笑)。

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京都市動物園のニシゴリラ

「言葉」はなぜ生まれたのか?

 福岡 ところで、なぜ人類の祖先が言葉や抽象概念、つまりロゴスを駆使できるような高い認知能力を獲得できたのか? という謎があります。しかしベストセラー『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)はこの点について「突然変異で認知ができるようになった」と、一行で終わらせてしまっている。ロゴスの獲得こそ人類を人類たらしめた重要な点ですから、この認知革命の起源に触れなければ本当の人類史とは呼べません。この点について、山極さんはどうお考えですか。

 山極 まず、僕の仮説としては、人類の祖先はゴリラ的な単雄群か小さな群れだったと考えています。それがいくつか集まって「家族」と「共同体」という二重構造ができた。普通は小さな群れが集まって共同体をつくると、複数のオスが発情したメスに引き付けられて、オスとメスの一対一の独占的な配偶関係が成り立たなくなる。それを禁止したのが「制度」です。野放図に乱交を許してしまうと、家族と共同体の二重構造が維持できないので、制度として多重婚を禁止した。制度が生ずるためには言葉が必要ですから、制度ができる前に認知革命があったと考えられます。

 福岡 ロゴスによって乱交を禁じているわけですね。

 山極 人類以外の霊長類で一夫一婦制なのはテナガザルなどですが、オスとメスの体格が同程度なんです。では人類はどうかと言えば、男性の方が女性より1.2~1.3倍大きい。これは、自然の状態では一夫一婦のペアを作れないことを示しています。それを可能にしたのは制度、つまりロゴスですね。

 福岡 では、ロゴスの源である言葉が生じたのはいつ頃だと推定されますか?

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source : 文藝春秋 2022年2月号

genre : ニュース 社会 医療