哲学者・梅原猛(1925〜2019)は、古代から近代の長大な射程で「梅原日本学」を展開。国際日本文化研究センター初代所長や京都市立芸術大学学長を務めた。
長男の賢一郎氏が、京都に根差した父の哲学を紐解く。
のちの哲学者が、大学の哲学科に入学するために、知多半島の小さな海の町から京都に出てきたのは、昭和20(1945)年、戦争のさなか、20歳のときのことであった。地元で町長をしていたこともあってか、政治家にさせたかった養父(伯父)は反対したが、「政治は10年、哲学は100年」と啖呵をきって、故郷をあとにした。
西田幾多郎にあこがれ、京都に出てきたものの、哲学徒としての出発は暗澹たるものであった。入学式をおえ、故郷にもどると、赤紙が届いていた。すぐさま死に直面することになったのである。ただ、青年にとって、死は、ある意味、なじんだ光景であった。はじめて身にふりかかる難問ではなかった。
大正14年3月20日、仙台で出生、実父は東北大学の学生、母はそのときすでに結核を患っていた。出産をすれば危険であると医師から告げられていた。案の定というのか、赤児の身代わりであるかのように、出産後すぐに帰らぬ人となった。
乳飲み子は、当初、母方の身内をたよりに、あちこちとあずけられていたらしい。そして、1歳と9カ月のとき、最終的に、実父の兄、梅原家の本家である伯父の家にひきとられた。
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