約4年前、日韓両国は歴史的な「慰安婦合意」に漕ぎ着けたはずだった。その後、韓国では保守の朴槿恵政権が倒れ、進歩(革新)の文在寅政権が誕生。革命的政権であり、日韓関係を危惧する声も出たが、当初、安倍は「(文在寅とは)意外に対話できるかも」と漏らしていた。だが、その後の日韓関係は急速に冷え込んでいく。一体、何があったのか。総理を最も知る記者が書いた日韓首脳の攻防「全記録」
なぜ急速に関係は冷え込んでいったのか
今年9月25日、国連総会にあわせ、ニューヨークで開かれた日米首脳会談。議題が北朝鮮問題に及ぶと、米大統領のドナルド・トランプは首相の安倍晋三にまくし立てた。
「金(正恩)は文(在寅)からの電話を取ろうともしない。韓国は北朝鮮にナメられている」
厳しい表情のまま、否定も肯定もしない安倍。トランプは自身の関心のある問題を次々とぶつけてくるのが常だ。この日も、韓国への輸出管理厳格化について尋ねてきた。安倍が、
「これまでの優先的な扱いから他の国と同じ通常の扱いにしただけだ。EUも韓国を優先的に扱っていない」
と説明すると、今度は「貿易規制なのか」と質問を重ねてきたトランプ。安倍は「個別に審査をする輸出管理であって、貿易規制ではない」と断言し、兵器に転用される恐れのある不正輸出が韓国国内で多数摘発されたことなどを付け加えた。
さらに、徴用工を巡る韓国大法院(最高裁)判決。「国際法違反なのか」と問うトランプに、安倍は毅然と、
「国際法違反だ」
と応じたのだった――。
安倍、トランプの信頼を完全に失った韓国大統領の文在寅。日韓関係は悪化の一途を辿り、日米韓の連携も今、厳しい状況に陥っている。
私はNHKの「時事公論」や「クローズアップ現代」などで一連の問題を報じてきたが、今回、視聴者をはじめ、皆さんの理解を深める一助とするため、筆を執ることにした。安倍と文在寅、日韓両首脳のやり取りを中心に、関係悪化の経緯を詳らかにしていきたい。
著者の岩田氏
振り返れば、約4年前の2015年12月末、日韓両国は歴史的な慰安婦合意に漕ぎ着けたはずだった。
政権奪還当初から、戦後70年にあたる15年を、戦後外交の総決算と位置づけていた安倍。その最大の課題が日韓関係、中でも慰安婦問題だった。以前ならば、度重なる韓国の「ゴールポストの移動」を看過しなかっただろう。だが、安倍は“リアリスト”に変わった。「北朝鮮の脅威と対峙するには、日米韓の連携は欠かせない」と考えを変えたのだ。
ただ、1965年の日韓請求権協定で、法的には解決済みという立場だけは譲らなかった。交渉の最終段階で訪韓した外相の岸田文雄に、安倍はこんな訓令を出している。
「お詫びと反省の気持ちは表明しても、法的責任は認めないように」
一方の朴槿恵は最後まで日本の法的責任に拘り、外相間の交渉も決裂寸前だった。それでも両国は、日本側の資金拠出で財団を設立し、「最終的・不可逆的な解決を確認する」という内容で合意したのだった。
朴槿恵前大統領
「国内の反発も大きかったと思うけど、朴大統領も最後は大統領の矜持を見せてくれたよね」
後にこの合意を振り返り、安倍はこう漏らしている。念頭にあったのは、一向に“大統領の矜持”を見せようとしない文在寅の存在だった。
「意外に対話できるかも」
大統領就任翌日の17年5月11日。安倍は早速、文在寅に祝福の電話をかけた。
「大統領とともに未来志向の日韓関係を築いていきたい」
もちろん、北朝鮮問題について念を押すのも忘れなかった。
17年7月の初会談は笑顔だった
「対話のための対話では意味がない。北朝鮮の真剣な意思と具体的な行動を引き出すため、GSOMIA(軍事情報包括保護協定)のもとに日米韓で協力を進めたい」
文も緊張気味にこう応じた。
「安倍首相の長年の卓越したリーダーシップに敬意を表したい。日本とは戦略的な関係だけでなく、最も近い友人だ。北朝鮮については制裁と共に対話も並行して進めたい」
そして、歴史問題についても、
「慎重に扱いながら、いつでも話し合いをし、“シャトル外交”を復活させたい。適切にマネージしよう」
約30分間に及んだ初の電話首脳会談。文は日韓の間に横たわる難しい問題と、安全保障問題などを切り離す「ツートラック」を提案し、シャトル外交の復活を打ち出した。
元人権派弁護士で、左派の盧武鉉政権で秘書室長だった文在寅。日本の全国紙は「外交経験ゼロ」「日本知らずの反日」などと評し、安倍も当初は身構えていた。だが会談後、「意外に冷静な対話ができるのかもしれない」と感じ取ったという。
しかし、文は就任以降も「対話路線」を掲げるなど、北朝鮮にすり寄った姿勢を取り続けた。
17年8月29日、北朝鮮はついに日本上空を通過する弾道ミサイルを発射。安倍がその直後、トランプとの電話会談で「これまでにない挑発だ」と指摘すると、トランプは「文は北朝鮮に甘すぎる。北朝鮮から対話を求める状況を作る必要がある、とシンゾウからも文に促してくれないか」と矛先を文に向けた。
緊急事態にもかかわらず、韓国側の事情で翌30日にずれ込んだ文との電話会談。安倍は「韓国から対話を求めるかのような発言は慎むべきと、トランプ大統領との間で確認した」と伝えたが、文は「圧力から対話の場に寄せていかないといけない。北朝鮮に対話を求めさせなければならないという点は共感する」と応じるに留まった。圧力強化を巡り、日米と韓国の間には溝が生まれていた。
約1カ月後の9月19日、ニューヨークでの国連総会でグテーレス事務総長主催のランチが催された。わざわざ隣の席に安倍を招き寄せ、上機嫌に話し込んでいたトランプ。やがて文在寅を見つけると、英語で冷ややかな皮肉をぶつけた。場が凍り付くほどだったが、文はニコニコした表情でその場をやり過ごしていたという。通訳は訳すことなく、安倍も見て見ぬフリをするのだった。
「ツートラック」の維持
ところが18年2月の平昌五輪を機に、南北首脳会談が取り沙汰されるなど、北朝鮮を巡る機運が変化していく。文在寅は安倍に対しても直接、2月9日の開会式への出席を強く求めてきた。当初は慎重姿勢だったものの、「平和の実現に繋げられれば」と考え直し、出席を決断する。
開会式前に会場近くで行われた日韓首脳会談。上機嫌の文は「南北統一チームの結成にあたって色々あったが、多くの人に高い関心を持ってもらっている」と切り出した。
一方の安倍は五輪開催に祝意を述べた一方、慰安婦問題、そして徴用工問題に言及する。ここを避けては“未来志向の日韓関係”はあり得ない、との考えからだ。すでにソウル地裁は新日鉄住金などに対し、損害賠償を命じる判決を出していたが、この時点ではまだ大法院は確定判決を下していない微妙な情勢だった。
「日韓合意は、国と国との約束だ。政権が変わっても、約束を守るのが国際社会の原則だ。これを覆すのは厳に差し控えて頂きたい。徴用工裁判についても、日韓請求権協定に違反するような判決が出れば、日韓関係の基礎が損なわれることになる」
と釘を刺した。
いきなり本題を突きつけられた形の文だったが、こう応じている。
「慰安婦合意については再交渉を求める声もあるが、再交渉はせず、拠出金の10億円も返還をしない。徴用工問題は、大法院が審議中だが、合理的な判断を示すと信じている。ただ、歴史問題は政府間の合意だけでは解決することは難しい」
言い訳とも取れる言葉を付け加えつつも、平昌五輪の頃の文は「ツートラック」の方針を、まだ維持する構えだった。日韓の連携はまだどうにか機能していたと言える。
文の大統領就任からほぼ1年が経った18年4月29日、13年ぶりの南北首脳会談を終えた文は、安倍に電話でその内容を40分間報告した。安倍が南北会談を実現した文のリーダーシップを称えると、文もこう自信を覗かせた。
「安倍総理は日朝平壌宣言を重視する姿勢だと伝えたところ、金委員長はここに反応し、日本との対話に前向きな姿勢を示した。私も日朝対話を模索することは良いことだと考えるし、橋渡しの役割ならできる」
ただ、外務省幹部の1人はこの時を振り返り、「金正恩、トランプ……文は誰にでもいい顔をしようとする。結局、安倍首相にもいい顔をしたかっただけだろう」と語る。今に至るまで、“橋渡し”は実現していない。
安倍の脳裏によぎった不安
表向き日本に友好的な姿勢を取り続ける文在寅に対し、安倍が不信感を抱いたキッカケがあった。南北首脳会談から5カ月後の18年9月25日、ニューヨークで開かれた日韓首脳会談でのことである。
文はまず5日前の自民党総裁選に勝利した安倍に祝意を表し、4月の南北首脳会談で安倍の拉致問題に対する立場を金正恩に伝えたことを改めて報告。北朝鮮問題から慰安婦問題へと議題を移し、続けて、安倍が率直な懸念を示したのが、徴用工を巡る大法院判決の行方だった。
実は、この年の8月に入り、朴政権が大法院判決を故意に遅らせたとして、検察が当時の最高裁長官らを捜査対象(19年1月に逮捕)にするなど雲行きが怪しくなっていた。この時期、南北首脳会談、さらには米朝首脳会談の盛り上がりで、文政権の支持率は一時的に上昇。前政権が積み重ねた弊害を糺すと謳った「積弊清算」を加速させており、安倍も不穏な空気を感じ取っていた。
安倍が思い出したのは、遡ること約1年前の17年9月、ロシアのウラジオストクで行われた首脳会談だった。当時も安倍は同様の懸念を示していたが、文はこう述べている。
「徴用工問題は個別の労働者が訴訟を起こしたもので、政府が関わることができる問題ではないが、大法院は適切な判断をするだろう」
この楽観的な答えに、これまで安倍は安堵感を抱いてきたのだ。その後も、文は「大法院は合理的な判断を示す」と言い続けてきた。
だが、ニューヨークでの文はウラジオストクとは一転、困惑の表情を浮かべる。「朴政権での司法介入が明らかになり、難しい状況になったが、努力したい」と言葉少なに応じるのみだった。大法院判決は、想定以上に悪いものになるのではないか――安倍の脳裏に不安がよぎった。
安倍=文在寅関係の転機となった首脳会談。この時を最後に、日韓首脳会談は開かれていない。
徴用工判決を巡る3つの問題
およそ1カ月後の18年10月30日。日本の韓国への信頼が決定的に崩れ落ちた。徴用工を巡り、大法院が新日鉄住金に損害賠償を命じる確定判決を下したのだ。
「国際法に照らしあり得ない判断だ」
安倍は即座に記者団のぶら下がり取材に応じ、そう断じた。その理由は以下の3点に収斂される。
第1に、国際法は、国内法に優先する。日韓請求権協定は条約=国際法であり、国会で批准した国家間の約束だ。請求権協定では、相手国やその国民の財産・権利・利益や請求権について、いかなる主張もすることができないとしている。国内の確定判決を理由に、条約の不履行を主張することはできない。
第2に、賠償・請求権に関する他国の判例との関係。米国でも連合軍の元捕虜が、日本企業に謝罪と賠償を求めた裁判があった。その“ウォーカー判決”では、「元捕虜が主張する請求権は、サンフランシスコ平和条約で封じられている」と賠償請求権すら認められなかった。戦後処理の常識として、どこかで区切りをつけないと、永続的な平和を得られないという考え方が背景にある。
第3に、盧武鉉政権が05年に発表した政府見解。請求権協定を根拠に、韓国政府は自ら、日本からの無償供与を被害者救済に使わなければならない、と発表したのだ。
「日本は人道主義的救助作戦の妨害を謝罪し、事実歪曲を即刻中断せよ」
この大法院判決に猛反発した安倍だったが、韓国政府は翌11月、慰安婦合意に基づく財団の解散を発表。12月には、韓国駆逐艦が自衛隊機にレーダーを照射するなど、日韓関係は悪化の一途を辿っていく。
国際法だけでは勝てない
なぜ文在寅は日本へ強硬姿勢に出たのか。南北関係は18年4月の首脳会談をピークに目立った進展はなく、国内経済も厳しい。支持率が再び下落に転じる中、反日的な政策に舵を切った、と安倍は見ていた。関係の改善を求める声をよそに、文は拙劣とも言える外交戦略を続けた。
大阪G20での両首脳
大阪で開催された今年6月末のG20サミット。気候変動を巡って各国首脳が首脳宣言の文言を調整していた最中、文は安倍に立ち話をするタイミングを窺っていた。だが、議長の安倍はパリ協定の趣旨を盛り込もうと、トランプや独首相のメルケルらと緊迫したやり取りを重ねていた。結局、文は話しかけることすらできなかった。後に事務方から、文の様子を聞かされた安倍は「そうだったのか」と応じるのみ。日本にとって、“信頼できない”文の優先順位は著しく下がっていたのだ。
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source : 文藝春秋 2019年12月号