第一次エスニックブーム

稲田 俊輔 料理人/飲食店プロデューサー
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 日本に本場そのままの外国料理が一気にもたらされたのは、いわゆるバブル時代だったと言われています。フランスやイタリアの本場で修業した日本人シェフが、帰国後その成果を新しいレストランで披露し、その中からはスターシェフと呼ばれるような人も次々と現れました。

 もっともその時代、僕自身はまだ中学生~高校生でした。「本場の料理」とやらはテレビや雑誌などでたまにその姿を拝むくらいのことしかなく、味は想像するしかありませんでしたが、いつか自分も都会でああいうものを食べてみたい、という憧れを募らせるには十分なものでした。

稲田俊輔氏(本人提供)

 大学生になって都会で一人暮らしを始めると、少しだけそんな世界が現実に近付いてきました。スターシェフが腕を振るう高級レストランは学生風情にとってはまだまだ高嶺の花でしたが、それをカジュアルにしたような店なら、なけなしのバイト代をはたけばなんとかなりました。

 さらに幸運だったのは、そのころが第一次エスニックブームと呼ばれる時代とも重なったことです。タイ料理を始めとするエスニック料理のお店は、カジュアルイタリアンより更にお財布に優しく、しかもどこか文化的な雰囲気を纏っていました。初めてタイ料理を食べた時は、あまりにも馴染みのない味に目を白黒させたものですが、そういう味ほどおいしさを理解した途端「ハマる」ものです。僕はすっかり夢中になり、後には本場の料理を食べるためだけにタイ旅行を敢行したりもしました。

 大学を卒業して社会人になると、飲食に使えるお金には、もう少しだけ余裕も生まれ、フレンチを筆頭に本場の味に触れる機会は更に増えました。それはいつでも僕をワクワクさせてくれたし、そこにお金を使うのは極めて有意義なことであると確信していました。

 時は1990年代。一億総グルメ化と言われたその時代、人々は「本物の味」を求めて熱狂していました。現在の感覚から見ると、食べ物に本物か偽物かという仕分けを求めること自体が滑稽にすら感じられますが、当時はそういう時代だったとしか言いようがありません。そして本物という言葉は、本場そのものという概念とも、分かち難く結びついていました。

「食の原理主義」の終わり

 ならば本場そのままであることには本質的な価値はないのかと言われたら、それは決してそんなことはないと考えています。食文化というのは、存外、強(したた)かなものです。歴史の中で集合知として積み上げられてきたその地の食文化には、揺るぎなく普遍的な価値がある。90年代はこういう考え方がそれなりに浸透していたのではないかと思います。後に僕は、こういった考え方、つまり「外国の料理は須(すべから)く本場そのものの味であるべきである」という価値観を「(食の)原理主義」と名付けました。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

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