生の外国人

町田 忍 庶民文化研究家
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 今年は昭和100年、戦後80年という特別の年である。

 今、若者の間でラジカセやフイルムカメラが流行(はや)るなど、昭和という時代がブームであるが、この現象は昭和から平成になった時からのようだ。その後現在に至るまでそのブームは続いている。

 昭和という時代は短期間に庶民生活が近代化した時代ではないかと私は思っている。江戸から明治になった時は、一般国民の日常生活が近代化されるまで数十年はかかっている。

町田忍氏(本人提供)

 具体例を自分の体験から思い出してみよう。我が家にテレビが来たのは昭和33(1958)年。テレビは当時、標準的な14インチが、約6万5000円もした。人事院資料によると、この年の大卒国家公務員の初任給が9200円なので年収の約半分ということになる。NHKの資料によると、テレビの本放送が始まった昭和28年2月1日時点では、全国の受信契約数は866件。受像機は約18万円だったので、とても普通の家庭では買えず、テレビと言えば、街頭テレビだった。当時の新聞記事には、プロレスや野球中継の時、現在のJR新橋駅前広場に置かれたわずか20インチ程度の街頭テレビ数台に1万人以上が集まっている写真が載っていて、その人気ぶりがわかる。

 我が家にテレビがくる以前は、近所のテレビがある家に多くの人が集まって相撲などを見せてもらうのが、ありふれた光景だった。これは電話にも共通しており、公衆電話が普及するまでは、大家さんや近所の人から電話を借りるのは、普通のことだった。

 テレビが来た後、数年で我が家は冷蔵庫、洗濯機、掃除機を買い、いわゆる「三種の神器」が揃った。数年で庶民生活が激変したのである。わかりやすく言うと、電話がない時は手紙、洗濯は洗濯板、掃除は箒、見方を変えれば江戸時代となんら変わっていなかったと言っても過言ではないだろう。この変化は、江戸から明治のそれよりきわめて短期間に成し遂げられており、長い日本の歴史においても昭和、特に30年代は特別な時代だと言えるだろう。

リモコンはまだもちろんない Ⓒorangefish/イメージマート

 反面、嫌なこともあった。わたしのお腹に「回虫」がいたのだ。幼稚園に行く前にチョコレート味の虫下薬を飲まされた。園庭で遊んでいるとお尻がムズムズして、ズボンの裾から10センチほどのうどんのような回虫がポロリと出てきてびっくりした記憶がある。小学校時代は検便がありマッチ箱に便を入れて教室の後ろの紙袋に入れるので教室中にその臭いがした。衛生面は現在の方がはるかに進んでいる。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

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