幻のたぬきラーメン

高山 なおみ 料理家・文筆家
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 私は昭和33年生まれなので、日本で最初の即席麺とされる「日清チキンラーメン」と同い年。小学1年生のころ、即席ラーメンはまだまだ珍しく、大人にとっても子どもにとってもごちそうだった。うちはクリスチャンだったから、日曜日の朝は家族そろって教会に行った。日曜学校では上級生に混ざって聖書を読んだり、讃美歌を歌ったり。大人たちはまだ礼拝があるので、ふたつ違いの姉を先頭に、双子の兄と手をつないで歩いて帰った。小さい私たちにとって、車の行き交う大通りはとてつもなく長く、果物屋さんの角までくるとようやくほっとした。

 家に着くと、お昼ごはんはいつもマルちゃんの「ハイラーメン」。お鍋に水を張り、姉か兄がマッチを擦ってコンロに火を点けた。具はキャベツと魚肉ソーセージ。麺がやわらかくなったら、卵をひとつ落としてかき混ぜ、もう少し煮る。姉も兄もおいしそうに食べていたけれど、私は「ハイラーメン」があまり好きではなかった。3袋分をいっぺんに作るせいなのか、食べるころには麺はすっかりのび、スープもぼんやり薄まって、食べても食べてもちっとも減らない。ピンクのソーセージだって、丸のままかぶりついた方がずっとおいしいと思っていた。

高山なおみ氏(撮影:枦木功)

 2年生になると、♪たぬーきラーメンだれのもの たぬーきラーメンだれのもの そのラーメンぼくのものー(メロディーはよく覚えているけれど、歌詞が正しいかどうかは自信がありません)というCMソングが白黒テレビから流れ、マルちゃんの「たぬきラーメン」が発売された。公務員で慎重な父は「ハイラーメン」ひと筋だから、ぜったいに買ってもらえないことはわかっていたけれど、私はそのラーメンをたまらなく食べてみたかった。

 願いの叶う機会が訪れたのは犬、猫、うさぎ、チャボ、カメ、おたまじゃくしに熱帯魚など、さまざまな生き物を飼っている、ひとりっ子のけいこちゃんちに、学校帰りに遊びにいった日だ。いつもはプリンやホットケーキを出してくれるお母さんが留守なので、即席ラーメンを作って食べようということになった。けいこちゃんちの台所には憧れの「たぬきラーメン」があり、私は胸が高鳴った。袋を開けると、スープのほかにかやく袋というのがついていた。しいたけやキャベツ、ねぎ、にんじんなどの絵が描いてあり、どうやら乾燥した野菜が入っているらしい。封を開けると香ばしい匂いがして、私の口はよだれでいっぱい。

 けいこちゃんも私もマッチを擦れない。でも、何がなんでも食べたいから、コンロのつまみをひねるのをけいこちゃんにやってもらって、マッチは私が擦った。手が震えていたのだろうか、ガスの匂いが怖くなったのだろうか、私たちはけっきょく、どうしても火を点けることができなかった。

即席麺は高度成長期の日本で生まれたとされる ©hanasaki/イメージマート

「ハイラーメン」はその後、スープの風味や麺の食感が改良され、現在でも手に入るそうだけど、インターネット上でひとつだけヒットした「たぬきラーメン」の写真には、かやく袋らしき文字はない。今思えば、人生初のフリーズドライ野菜が食べられたのかもしれないけいこちゃんちでの思い出は、まったく別の即席ラーメンのものだったのかもしれない。

タイム・カプセルの中身は

 万国博覧会が開かれたのは、小学6年生のとき。静岡県に住んでいた私にとって、新幹線に乗らないと行けない大阪は遥か遠く、万博など夢の夢だった。それでも、夏休みに連れていってもらえたお金持ちの子はひとりかふたりいて、クラスじゅうのヒーローだった。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

genre : ライフ 昭和史 ライフスタイル 歴史 グルメ