父富十郎の教育論

復活拡大版27組 オヤジ編

中村 鷹之資 歌舞伎俳優

NEW

ライフ ライフスタイル

親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル

 父・五代目中村富十郎は常に明るく、元気で希望に満ち溢れた人でした。裏表も全く無く、外でも家の中でも同じ、愚痴っぽい言葉など聞いたことがありません。私が生まれた時はすでに70歳でしたが、体を気にすることはあっても、年齢を気にするなんてことは微塵もありませんでした。まるで少年のように常にいろんなものに興味を持って、「あの音楽は素晴らしいね! あの映画今度観に行こう! 今年の夏は外国に旅行に行こう!」と前を向いて歩いていました。基本的に家に仕事を持ち帰ることのない人でしたので、家にいる時はただの元気で明るい少年みたいな父親でした。

 父は、幼いうちから楽屋の雰囲気に慣れさせたいということで、私と妹をよく楽屋に居させてくれました。楽屋に行くと言っても、小さかった私達はほぼ遊びに行っているようなものでしたし、父もやかましく何かを教えたりするわけでもありません。ただ幼いながらも、父が真剣勝負をしている場所だという緊張感は肌で感じていました。一度、出番が終わって楽屋に戻ってくる父を、鏡台の後ろに隠れて驚かそうと待っていたことがありました。するとその日は戻ってくるなり、ものすごい勢いで自分のお弟子さんを怒って注意し始めてしまい、私は怖くて出られなくなってしまいました。舞台は一日一日が命懸けの真剣勝負。父はその空気感を、私達に感じて欲しかったのだと思います。

中村鷹之資氏 ⒸTadaoMatsuda SHOCHIKU ENTERTAINMENT

 父は私の教育に関して、世阿弥の『風姿花伝』をバイブルのようにしておりました。そのため14歳になったら本格的に教えて稽古をする。それまでは子供らしくのびのびやったらいいと、ほとんど舞台や踊りのことで厳しく言われたことはありませんでした。

 教えるといっても長嶋茂雄方式の父ですから、『勧進帳』の義経を習った時も、判官御手という大事な場面を、「手を出すでしょ、泣けばいいんだよ!」という感じで。結局私が11歳の時父は亡くなり、本格的に教わることは出来ませんでした。今でも、もっと亡くなる前に教えておいて欲しかったと思うことばかりです。そして歌舞伎の世界において、父親を失うということは、天と地ほど環境が変わるものです。特に父の場合は、私が生まれたときには大変上の立場にありましたから、父が亡くなったあとの楽屋は同じ場所とは思えないほど周りの空気感が違ったのを覚えています。なんでもっと一緒にいてくれなかったのか……、父の写真を見ながら色々な思いにかられた時期もありました。

 しかしその11年で、父が技術よりも先に私に伝えたかったもの、それが“心”です。

「心が備わっていれば、自然と自分で勉強して歩いていきます」

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

初回登録は初月300円・1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

18,000円一括払い・1年更新

1,500円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2026年1月号

genre : ライフ ライフスタイル