親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル
僕は兵庫の芦屋市出身で、通っていた私立の小学校は、名門・灘中学に進学する子も多い学校でした。受験して入学はしたものの、レベルが高過ぎて勉強は好きじゃなかった。でも、運動は得意でした。
小学校2年の終わりに、「勝敗がはっきりする相撲をやりたい」と両親に申し出ました。それというのも、4歳から極真空手をやっていて、ある大会で判定負けをし、とにかく悔しかったから。母親は当然大反対です。頭から当たるコンタクトスポーツでケガも怖いし、一人息子の僕には、将来いい大学に進んで堅実な人生を歩んでほしかったのでしょう。この時は毎日家族会議というか、大喧嘩でした。しかし父は僕に対して「運動神経もいいし闘争心もあるから、プロのアスリートになるのもいいのでは」との考えもあったようで、「将来プロになって横綱を目指すなら相撲をやらせてやる。大関で終わるなよ」と許可してくれたのです。
その後は厳しくて一切の妥協がない父でした。地元の相撲クラブへの送迎はもちろん、稽古中も僕の相撲に口を出す。自宅でも父が付きっ切りでトレーニングをしたものです。階段を四つん這いで上がり降りしたり、自宅前の坂道をダッシュしたり。近所では奇異の目で見られていたようです。体も大きくはなかったし、「横綱を目指しています」と言うと周囲は、「あ、そうなの。頑張ってね~」と軽くいなされる感じでした(笑)。

体を大きくするために肉や卵のタンパク質を摂れと、食事も父が作る。ある時は450グラムのハンバーグを三つなど、無理矢理に詰め込んだりして、母曰く当時の月の食費が30万円も掛かっていたとか。
まさに漫画の『巨人の星』のような感じで、毎日厳しくてしんどかったですが「もうやめたい」などとはとても言い出せない。普通、小学生なら選択肢が多いなかで、まだまだ目標や夢が定まらなくて「やっぱりやめる。他のことをやってみたい」と言うことも許されるのかもしれません。でも「僕のために父がここまでやってくれている」と思うと、やらざるを得なかった。結果、相撲をずっと続けることになり、目標を持ち続けて職業にもなりました。相撲道を貫くことができ、逆に父との日々がよかったと思えるんです。
当時の父は自営業で、不動産業などいろいろな仕事をしていたようでした。会社員だったら、とても息子に付き合いきれない。日中は僕に付きっ切りで、僕が寝るころに仕事に出掛けていくこともありました。
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