日本列島には、いつから人類が暮らしていたのだろうか。戦後、岩宿遺跡の発見により旧石器時代の存在が明らかになると、列島各地で調査が進み、3万5000年前までの遺跡が数多く確認された。しかしそれ以前の時代となると様相は一変する。ホモ・サピエンス以前の、いわゆる前・中期旧石器時代が本当に存在したのか――その存否をめぐり、考古学界には長く激しい論争が続いた。
決定打を放ったのは、東北地方を拠点とする民間の研究団体であった。彼らは1975年以降、4万年以上前の「遺跡」を次々と報告し、列島の人類史は10万年、30万年、さらには70万年前へと一気に拡大していった。ところが2000年11月、毎日新聞の調査報道が、そのすべてを覆す事実を突きつける。旧石器捏造事件の発覚である。石器愛好家が、畑などで拾った縄文時代の石器を年代の確かな地層に密かに埋め込み、研究者がそれを本物と信じて発掘報告していたのだ。
日本の旧石器研究は壊滅的な打撃を受け、長らくそれを見抜けなかった日本考古学界は信頼を失墜した。余波で誤った非難を受けた碩学が、抗議のために自ら命を絶つという痛ましい出来事さえ起きた。以来、小学校の教科書から旧石器時代の記述が消えたことは、捏造事件が日本社会に与えた衝撃の深さを、今に伝えている。
それでも、研究の歩みが途絶えることはなかった。事件以後も、4万年以上前の確実な遺跡を求めて挑戦が続けられた。しかし成果は容易には得られなかった。石器の形が大陸の古いものに似ていても、出土層位の信頼性が低かったり、逆に確かな古い地層から出土しても、自然の破片との判別が難しかったりと、決定的な証拠に欠けていたのである。

私が広島県廿日市市、中国山地の分水嶺に所在する冠遺跡の発掘に乗り出したのは、2023年9月であった。中央アジアの山岳地帯や信州での発掘経験から、標高の高い高原に初期の遺跡が立地する傾向をつかんでいた。大陸近くの高原で人類の列島到来直後の遺跡発見を狙ったのである。翌年の第二次発掘で、2万8000年前、3万2000年前、3万6000年前の累積する3枚の後期旧石器の包含層を掘り下げて、発掘を終えようとしたその時、思いがけない事態に遭遇した。さらに下層から、新たな石器が出土し始めたのである。
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