森繁久彌、伴淳三郎といった一世代年長の芸達者を相手に、映画『駅前シリーズ』などで一世を風靡したフランキー堺(さかい)(1929―1996)は、コメディアンの枠におさまらない天性のマルチタレントだった。代表作に映画『幕末太陽伝』、テレビドラマ『私は貝になりたい』などがある。旧制中学の同級生である俳優の小沢(おざわ)昭一(しょういち)さん(1929―2012)が思い出を語った。
戦争末期、その日の東京は空襲警報が鳴り響いていました。が、そんなことは委細かまわず、当時中学生だった私は、銀座にあった「金春(こんぱる)」という寄席に出かけました。もちろん、客は私ひとり……。空襲警報下でも、芸人さんはちゃんと舞台をつとめていたんです。
その噺に引き込まれて、思わず笑い声をあげたとき、後ろのほうでもヘンな声をあげて笑う奴がいる。えっ他にも客がいるの? と、ふり返ってみると、そこにいたのが堺正俊、そうフランキー堺でした。

フランキーと私は、旧制麻布中学の同級生で、いつの時代、どの学校にもいるおちゃらけグループの一員でした。いろんな遊びをやりました。電力不足の時代で、そんなことから「体に電気がたまる日」というのを、それぞれ決めましてね。その電気がたまった奴に体に触られると、授業中だろうと何だろうと、奇声をあげ、体をよじって応えなくちゃいけない。「感電遊び」って呼んでましたが、そんなパフォーマンスの工夫に夢中でした。
空襲警報の日に、酔狂に寄席に出かけたりしたのも、実はお笑いのネタ探し。それくらい各人がひそかに努力をしていた。もっとも、中学生ですから、落語はせいぜい前座噺しかこなせません。でも、フランキーだけは古典落語の「蚊いくさ」なんてのを、1回か2回聞いただけでちゃんとやるんです。一頭群を抜いた存在でしたね。
終戦間もなくのこと、学校の先生たちが次々に栄養失調になったんです。今思うと清貧の先生が多かったんでしょう。で、そんな先生方を慰めようというので、「芸能祭」をやることになった。もっとも、それは体(てい)のいい名目で、実は自分たちが楽しみたいというのが本音でした。
菊池寛の「屋上の狂人」という芝居をやりましたが、もちろんフランキーも参加しました。でも、彼は芝居の稽古はそこそこに、音楽部の部屋にも出入りしていた。バンド演奏にも参加したかったんです。実際、当日はギターを持って舞台に登場しました。でも、演奏中の彼を見ると、手はぜんぜん弦にふれてない。
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source : 文藝春秋 1998年12月号

