■連載「日本人へ」
第269回 素朴な疑問
第270回 外野席からの想い
第271回 「中卒の星」の声にも耳を傾けてみませんか
第272回 ときには悪党になってみては?
第273回 今回はこちら
前回の私のコラムに反応してくれた人は言った。幕末維新の頃の悪党は大久保利通とする見立ては面白かったけれど、あの頃はまだ政府もできていない時代ですよ。政府が確立している国では悪党の出番はないのでは、と。それで今回は、すでに政府は確立しており、しかもそれが民主政の国ということでは誰にも異論はないにちがいない、古代ギリシアのアテネに生きた二人の男をとりあげることにする。文庫版の通し表題を『ギリシア人の物語』とした四巻中の第一巻の後半の主人公になるテミストクレスと、第二巻の前半の主人公であるペリクレスの二人。
テミストクレスは、今風に言えば、世襲のメリットを受けていない政治家としてスタートした。それでも、職人たちの弁護士をしたりして選挙運動をしたことで、年に一度選ばれる「ストラテゴス」には三十代で当選する。ストラテジーの語源になるこの地位は今ならば閣僚だから、政府の一員にはなったわけ。ところが紀元前四九〇年、オリエントの大帝国ペルシアがギリシアに侵攻してくる。ペルシア軍が上陸したのが、後にマラソンの名で有名になるマラトンの平原。テミストクレスも、重装歩兵団を率いて参戦する。ストラテゴスには、内政だけでなく軍事の担当もあったのだ。
結局はアテネだけで迎え撃ったマラトンでの戦闘だが、勝ったのはアテネ軍。ところがこの直後から、アテネ政界は、二派に分裂する。敗れたペルシア軍はこれにこりて、二度と侵攻してこないと考える派と、いや絶対に次には、より大軍でより本格的に侵攻してくると予想する派の二つに。テミストクレスは後者の筆頭格。しかも、陸軍国のペルシアを迎え撃つには、海軍でいくしかないとまで主張したのだから、テミストクレスは対ペルシアの強硬派と見なされ、同僚であるストラテゴスの大半を敵にまわすことになってしまった。実は、当時のアテネは海軍国でもなかったのだ。商船はあっても軍船力となると、ギリシアの都市国家(ポリス)の中では三番目くらいの位置。なのにテミストクレスは、ギリシア最強の海軍国にすべきと主張するのだから敵は多かったのだ。それでテミストクレスは、強硬策に打って出る。とは言っても、以前から存在した法なのにこれまでは使われたことがなかった法に眼を付けただけであったのだが。
陶片追放とは、国の法に反したことをした人に科される罰ではない。ただ単に、市民集会に集まった人のうちの過半数にあたる六千人が、陶器製造が盛んなアテネでは捨てるほどある陶片に名を記したことで、十年間の国外追放に処されることでしかない。資産の没収もされず家族はアテネに住みつづけられ、十年が終ればアテネに帰国でき、その後ならばストラテゴスにも再選可というシステムのこと。これをテミストクレスは、四度使う。なにしろ陶片追放は、年に一度しか使えないことに決まっていたので。だがこれを活用したことによって、四人の反対派の、つまりは四人の政敵の、排除には成功したのである。これ以後アテネは、テミストクレスの考えたとおりの、ギリシア第一の海軍強国に変貌していく。
そしてこのギリシアに、マラトンでの会戦の十年後になる紀元前四八〇年、再びペルシアが侵攻してきたのだった。今度は前回とは比べようもない大軍で、しかも王自らが率いて。ただしこの年は、アテネだけでなくスパルタも参加して全ギリシアが、反ペルシアに起(た)った戦争になる。
しかし、勝敗を決めたのは、テミストクレスの予想したとおりやはり海上での戦闘。「サラミスの海戦」の名で歴史に残る海戦での勝利だった。四十八歳になっていたテミストクレスがすべてを考え、彼自身も先頭に立って闘った海戦での勝利。それも、もはや自軍の勝利は確実と、戦場を見降ろす崖の上で観戦していたペルシア王の面前でくり広げた勝利である。ペルシアによるギリシア侵攻は、こうして完全な失敗に終った。
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