民主政は永遠ではない

佐々木 毅 日本学士院長
ニュース 政治 国際
 佐々木氏は1942年生まれ、秋田県美郷町出身。マキアヴェッリやプラトンなどの古典研究を基礎に、「権力とは何か」にこだわり、政治学と政治思想史の研究を続けてきた。東京大学法学部教授、東京大学総長を務めながら、長年、政治改革にも積極的に参加。著書に『現代アメリカの保守主義』『政治家の条件』など。令和元年に文化勲章を受章した。

 そんな佐々木氏は、「民主政は永遠ではない」と言う。なぜなのか。
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佐々木毅(元東京大学総長)

日本は世界の"サブリーダー"

 2019年12月、私が共同塾頭を務める日本アカデメイアで、第1回「東京会議」というカンファレンスを主催しました。日本アカデメイアは政官財の人材が交流し、各界をつなぐハブ機能を果たすために2012年に発足した組織です。

 2019年は、冷戦終結から30年という節目の年でした。そこでフランスから経済学者で思想家のジャック・アタリ氏、アメリカから政治学者でハーバード大教授のグレアム・アリソン氏を招いて、「世界のパワー構造の変容とグローバルガバナンスの将来」をテーマにディスカッションしたのです。欧米を代表する知性に触れ、私も大いに啓発されました。

 アリソン氏は、台頭する新興国家は必ず覇権国に取って代わろうとし、歴史上の多くのケースで戦争に至っていると分析しています。これを「トゥキディデスの罠」と名付け、将来の米中戦争の可能性を指摘して世界的な話題になりました。

 そのアリソンさんが発言の冒頭で、日本の安倍晋三首相がTPP協定でリーダーシップを発揮して各国をまとめたことは素晴らしいと称賛しました。意外な褒め言葉にリップ・サービスだと受け止めた人もいたようですが、私はお世辞だけではないだろうと思いました。

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 それは2019年に入ったあたりから、EUなどでも日本への期待感が高まっていることを感じていたからです。EUは1つの経済大国としてやってきましたが、もはや安定的とはいえません。イギリスがブレグジットを決めたことで、ドイツとフランスの関係も難しい局面を迎えることは容易に予想されます。ドイツは中国と経済的な結びつきを深めてきたものの、中国を頼りにするわけにもいかない。その中で日本を再発見したということです。

 欧米諸国では、特にTPPのような国際協調の場で、日本にもっとリーダーシップを発揮してグローバルな協力体制を築いてほしいという期待がふくらんでいます。安倍首相が長期政権をつづけ、外交に積極的であることは少なからず評価につながっている。対立を深めるアメリカとイランのあいだに立って融和を働きかける姿勢は、歴代首相に見られなかったことです。国内ではほとんど話題になりませんが、国際的な期待感は一時より高いと考えていい。

 しかし、それは安倍首相が世界のリーダーだと認められたという意味ではありません。そもそも今の日本にそれほど国力はない。他国に協調的なリーダーがいなくなり、相対的に評価が高まったにすぎません。世界が日本に求めているのは、グローバルリーダーではなく、サブリーダー的な仲介役というのが現実です。そこは勘違いしてはいけません。

アメリカの引き方が早い

 東京会議の中でアタリ氏は、欧米の「政治家の質が劣化している」と指摘し、それは20世紀初頭によく似ていると話していました。「東京会議に向けて」と題した短い文章のなかで彼はこう書いています。

〈世界情勢はきわめて危険な状態にある。それは20世紀初頭の状況に近い。当時は進歩、開放、民主主義が世界を包み、素晴らしい時を迎える条件がすべて整っていたが、2回の世界的経済危機と2回の世界大戦が起こり、多くの独裁者が現れた〉

 アタリ氏の言う政治家の劣化とは、アメリカのトランプ大統領やイギリスのジョンソン首相など、従来なら国際的なリーダーを期待される国のトップが自国ファーストの政策に走っていることを指しています。

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ジョンソン英首相「EUよ、さらば」

 オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されたサラエボ事件から、思わぬ連鎖反応が起き、悲惨な第1次世界大戦にまで拡大したのは、同盟関係が悪いかたちで敵・味方の対立を煽る方向へ働き、良質とは言えない政治家が判断ミスを重ねたからでした。

 アタリ氏は、「アメリカの引き方が驚くほど早い」と指摘しました。特に中東に関しては、長年、深く関与してきたアメリカの姿があちこちで消え始め、「隙間」が空きすぎてどうにもならない。ヨーロッパからみると、そう見えるのだそうです。

 貿易ではTPP協定から離脱し、地球温暖化対策ではパリ協定から、中東政策ではイラン核合意から離脱しました。昨年8月にフランスで開かれたG7にも、「時間の無駄だ」と参加を渋るなど、覇権国のリーダーらしからぬ態度を見せています。

2つの「恐怖感」

 長年覇権国であったアメリカが「俺は抜ける」を繰り返せば、当然、世界には力が及ばない地域が生まれ、あちこちが隙間だらけになる。そのような隙間を埋める役割の一部が、いま日本に求められているのです。気候変動、移民、海洋汚染、核兵器拡散など、世界には1国の利益を超えて話し合うべき問題が山積みです。国連、WTO、世界銀行とIMFなど国際機関の能力も低下しています。

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トランプ米大統領「俺は抜ける」

 自国第一主義を掲げているのは、アメリカだけではありません。先進国は例外なく「自国第一」の傾向を強めています。

 そのきっかけは、欧米諸国を襲ったリーマンショック(2008年)とユーロ危機(2009年)でした。この2つは、いわば「先進国ショック」と言えるもので、かつては恵まれていると思われていた先進国でも中下層の人々が経済成長から取り残されている厳しい現実を浮き彫りにしました。アメリカで中南米からの移民への反発が広がったように、欧州では、経済の停滞に加え、中東から押し寄せた難民に対して危機感が生まれたのです。

 こうした中で国際協調やグローバリズムを掲げてきた各国の政党も急速に勢いを失い、ポピュリズムの影響は無視できないものとなりました。ポピュリズムは多義的な言葉で、「大衆迎合主義」と訳して政治家の姿勢を批判する言葉として使われることもありますが、南米などでは、1950年代にアルゼンチンに登場したペロン大統領が扇動したペロニズムのように評価する言葉として使われたこともあります。そもそも民主政は多数派の意見が反映される仕組みですから、常にポピュリズムが暴走するリスクをはらんでいると言えます。

 ポピュリズムがどこから来るかと言えば、それは人々が抱えるさまざまな「恐怖感」です。「生活の恐怖感」は左派のポピュリズムを生み出し、「アイデンティティの恐怖感」は右派のポピュリズムを生み出す。

 左派のポピュリズムがギリシャやスペインなど南欧の国で失業対策や社会保障政策を要求しているのに対し、右派のポピュリズムは、アメリカやドイツ、ハンガリーなどで反移民の運動を巻き起こしている。アタリ氏は「世界はますますアウト・オブ・コントロールになっていく」と懸念を強めていました。

 昨年、日本学士院で「民主政とポピュリズム」について講演した際、改めて考えてみる機会がありました。「ポピュリズムとは何か」をつきつめて考えてみると、その本質は、「反エリート主義」、そして「選挙絶対主義」の2つだと言えます。

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 反エリート主義のエリートとは多くの場合、中央政府を牛耳る支配層や官僚のことを指します。

 例えば、EUでは、ブリュッセルで働く本部のエリート官僚が恰好の攻撃対象になりました。EU本部はEUの安定と発展を考えるのが仕事です。なかでも、加盟国を代表する28人の委員と約3万5000人の職員からなる欧州委員会は、自国よりもEU全体の利益を優先することを使命としています。

 ところが、欧州各国の一般大衆は、ブリュッセルにいる彼らを信頼していません。EU本部は各国政府に「財政赤字を減らせ」と指示して来ます。これに対して一般国民は、なぜ自国の政府がEUの官僚に従わなければならないのかと不満を持つ。自分たちが選んだ政治家がまるでEU官僚の部下扱いではないかと怒りを感じるのです。

唯一絶対の権威は選挙

 アメリカでも、「ワシントンD.C.にいるエリートは悪党、中西部の人たちは善良な民」という二項対立の意識があり、根強いポピュリズムがあります。

 トランプ政権になってからよく使われるようになった「ディープ・ステート(影の国家)」という言葉は、トランプ大統領の足を引っ張ろうと、命令に従わない官僚集団のことを指します。どこまで実態があるかは不明ですが、トランプ大統領の熱烈な支持者は、ディープ・ステート打倒を叫んでいます。

 エリートとは本来、長期的なビジョンなり方針なりに基づいて、政策を仕切ることを期待されています。しかし人々の生活が苦しくなり、移民や難民が増えて既存の社会や文化が脅かされると、エリートがその役割を果たしていないとみなされるのでしょう。それでエリートたちが攻撃されているのです。

 もう1つの本質である「選挙絶対主義」とは何でしょうか。

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佐々木氏

 ポピュリズムは、選挙に基づかないあらゆる権力を否定します。裁判官、検察官などの司法も叩かれる。メディアも大学教授も叩かれる。時にはトルコのように軍人まで叩かれることがある。そういう「もっともらしい顔つき」をしているエリートは徹底的に侮蔑的な扱いを受けるのです。彼らが攻撃される理由はただ1つ、選挙で選ばれたわけではないのに、どうしてその地位についているのだということです。

 ポピュリズムにとって、唯一絶対の権威は選挙です。選挙を絶対視し、それ以外は権威とは認めない。その意味では選挙万能的な考え方であり、“民主政の鬼子”と呼べるかもしれません。

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source : 文藝春秋 2020年2月号

genre : ニュース 政治 国際