アメリカ政府の制裁対象となったICCの赤根智子所長。担当編集者が等身大の姿と印象的なやり取りを明かす。
〈重要〉と題された一通のメールが私のもとに届いたのは、8月16日のことでした。そこには、〈私用メールが使えなくなるかもしれません。今後は必ずICCのメールアドレスもccに入れて送ってください〉と書かれていました。差出人はICC(国際刑事裁判所)の所長、赤根智子さん。彼女はICCのメールアドレスとGmailアドレスの二つを使い分けていました。前者は主に仕事に関する連絡、後者は近況報告のようなプライベートなやり取り、という具合で、最近はGmailでのやり取りが増えていました。
今思えば、この時点で本人にはこれからご自身の身に起こることが伝わっていたのでしょう。翌日送られてきたメールの文面には、こう綴られていました。
〈明日、ニュースで発表されると思いますが、私自身も制裁されることになりました〉
8月18日、米トランプ政権は、赤根氏を経済制裁の対象に加える、と発表した。2024年11月、ICCはガザ地区における戦争犯罪や人道に対する罪の疑いでイスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状を発行。トランプ政権はこの件をはじめ、米兵の戦争犯罪捜査などに対してICCに強く反発しており、今回の赤根氏への制裁はその報復と見られている。
世界初の常設の国際裁判所であるICCは、二つの世界大戦の反省に基づき、ジェノサイド(集団殺害)や戦争犯罪などを犯した「個人」を裁くため、02年に成立した。
検事出身の赤根氏は、法務省からICC裁判官選挙への立候補を打診されたのがきっかけで18年にICCの判事となり、24年3月、日本人で初となるICCの所長に選出された。
その存在がクローズアップされたのは、ロシアから指名手配された23年のことだ。ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、ICCがプーチン大統領の逮捕状を発付したことへの報復だった。昨年6月に上梓した著書『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』(文春新書、以下引用は同書)で、赤根氏は当時をこう回想している。
〈逮捕状を発付すればその結果、ICCの決断に対して政治的な反発など「何か起きるだろうな」と思っていたのは確かです。でも、だからといって「出すのをやめておこう」とはならない。私たち裁判官は、法にもとづいて判断する以外の選択肢を持っていないのです〉
独裁者たちからの不当な“威圧”に毅然と立ち向かう赤根氏とは、どのような人物なのか。『戦争犯罪と闘う』の担当編集者である鳥嶋七実が、その素顔を語る。
「私が死んでも代わりはいる」
赤根さんの存在を初めて知ったのは、ロシア政府から指名手配されたと大きく報じられたときでした。「私が死んでも裁判官の代わりはいる」と話されている姿を見て、随分と肝の据わったかっこいい方だな、と感じたのを覚えています。国際機関に勤める女性という面も、同じ女性として興味が湧きました。
それまで国際的な事件を取り扱う裁判所といった漠然としたイメージしかなかったICCについても調べてみると、組織で働く職員に制裁が科されていたりするという。そこで赤根さんに、ご自身についてはもちろん、ICCという組織の成り立ちや存在意義についても一冊でカバーできるような本を執筆していただけないか、とご依頼をしました。その後、何度かやり取りを重ね、24年の暮れに「年始に日本に帰る予定があります。執筆は難しいかもしれないですが、聞き書き(インタビューを行い、言葉を活かして文章化する手法)ならお受けできるかもしれません」とお引き受けいただけたのです。
実はユーモラス
取材当日、まず驚いたのが、赤根さんにSPがたくさん付いていることでした。インタビュー時には4、5人のSPが同行しており、中には女性の姿もありました。配置を決めるために事前に会社建物内の平面図も提出するよう言われるなど、最初は緊張感があった。でも、初めてお目にかかった赤根さんは、とても気さくでした。ご自身は「昔から人見知りだから……」とおっしゃいますが、お話ししやすく、分け隔てのない気持ちのいい方なんです。たとえば、ICCの本部はオランダのハーグにあって、巷間伝わるように、オランダの食事はあまり美味しくないそうです。普段、赤根さんはICCにあるカフェテリアでランチをとられているのですが、後日ICCを訪問した際には「昔はもっと美味しかったんだけど、最近はクオリティが低下して、みんな困ってるの」と、ユーモアも交えながら、にこやかに話してくださる。
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