フーテンのシェーン

巻頭随筆

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 野田知佑さんが亡くなった。突然の知らせなのでしばらく呆然とし、いろいろなことを思いだしていた。

 まだアウトドアなどという気どった言葉が一般的じゃなかった頃にぼくは野田さんと九州のちょっとした川をカヌーで下っていた。ある場所で焚き火をしていると2人組がやってきた。野田さんとは知り合いらしかったがなぜかその場の空気が剣呑としてきた。

「遊び人! まだおるのか」

 相手はそんな意味のことを殿様みたいに言った。

 野田さんが立ち上がると2人はニワトリのようにけたたましくそこらの空気を震わせた。野田さんは殿様みたいな口をきいていたひとりのそばにいき、そいつのズボンの後ろのベルトを掴むと、そのまま川に投げ込んだ。米俵を放り込んだようなあんばいだった。もう1人のいくらか若いほうが滑稽なくらいうろたえて「いいんですか、いいんですか」と叫ぶので野田さんが次にそいつのほうに向くと「わっわっ」と言って走って逃げた。

 1分間ぐらいの出来事だった。

 ぼくと野田さんはそのままカヌーに乗って離岸した。やってきた2人はその土地の役人らしかった。「大丈夫なんですか」とぼくが聞くと「あそこは背がたつくらいの浅いところなんだ」と落ちついた声で言った。

 野田さんが日本の川を旅しているときの話をよくきいた。とても文章のうまい人で、川から見る自然を詩のように表現した。

 川を汚し、壊していくいろんなしわざ、とくに行政主導型の堰堤やダム工事などへの批判と嫌悪をあらわにしていた。

 外国の大河をいくつも旅していたのでその彼我の差が目についてならないようだった。

 河を旅する者には独特の視線、視座があって、陸からの視線とはあきらかに違っている。水面近くをいけばそのあたりで暮らしているヒトや生物の視線となった。

「いいなあ。(パドルの)ひとかき、ひとかきで風景が変わっていくんだ。この風景は、いまみんな我々のものなんだよ」

 カヌーの進路を選びながら、感動した声でよくそんなことを言っていた。そうしてウイスキーをラッパ飲みでグビリグビリ。

 日本の田舎の川をのんびりいくとよく警官に止められたという。河川は道と同じで誰でも自由に行き来していいことになっている。そういうことをあまり知らない当時の警官はいまいましげに「オイコラ」呼ばわりすることがあった、という。

「どこへ行く!」

 と聞かれると野田さんは黙って下流を指さして言う。「あっち」。すると警官は言うセリフがなくなって「気をつけていけ……」などと言ったそうだ。

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source : 文藝春秋 2022年6月号

genre : ライフ 読書 ライフスタイル