『文藝春秋』で「人声天語」を連載していた坪内祐三さんが、2020年1月13日、お亡くなりになりました。遺稿となった本誌2月号に掲載された文章は、ちょうど200回目でした。連載開始時から挿絵を担当してきた中野翠さんが、坪内さんへの想いを綴ります。(イラストレーション=中野翠)
坪内さん
「坪内祐三さんが亡くなりました」―。毎日新聞社のMさんからの電話に、私は、声を失った。嘘でしょ、そんなはずないでしょ。つい、2、3日前も例のセカセカした調子で電話して来たのだから。何にも変わったところはなかったのだから。
それでもMさんの話はほんとうらしい。電話を切って、しばらく何も考えられなかった。
通夜・告別式の通知が届いた。それでもまだ坪内さんの死ということが受け入れられないというか納得が行かない。告別式は1月23日と記されていた。その日は、相撲好きの坪内さんが、私や泉麻人さんを誘って国技館マス席でいっしょに相撲観戦する予定の日だったのだ。チケットはもちろん坪内さんが手配してくれて、郵送されて来ていたのだ。まさかその日が告別式だなんて……!
小雨がちらつく寒い日だった。私は始終、悪い夢の中にいる気持だった。最後に棺の中の坪内さんをおがんだ。目を閉じたままの坪内さん。もうそこには、あの「ツボちゃん」はいなかった。ほんとうに逝っちゃったんだね……。棺の横にたたずむ佐久間文子さん(坪内夫人)と顔を合わせた瞬間、ドッと涙が。
告別式には泉麻人さんも来ていた。立ち話で、「それじゃあ、また国技館で。私は着替えして、4時半頃に行くつもり」と言って別れた。帰宅してしばらくボンヤリ。とにかく着がえなくちゃ、と思い、クロゼットのある寝室へ。部屋の天井ライトはリモコンで点燈するのだが、いつもの置き場所にはなく(しょっちゅう、これ)、薄暗いまま入っていって、奥からセーターを引っ張り出し、部屋を出ようとしたら、いきなり何かにつまずき、マズイ! と反射的に目の前のタンスに左手をついたのが、いけなかった。ひどく悪い角度で手をついてしまったようで、すぐに猛烈な痛みに襲われた。もう相撲どころじゃない。病院に行かなければ……。
泉さんに電話。タクシーで病院の救急外来へ。診断の結果、手首の骨2本が折れていると。左腕のヒジから手首までギプスをはめられ、ホータイでぐるぐる巻き。首から三角巾で吊るすという事態に。絶え間なく襲って来る鋭い痛み。まったく何という1日。
―というわけで、今、この文章もその状態で書いているのです。痛みはだいぶおさまったものの、いまだに鉛筆・ケシゴム・原稿用紙というスタイルで書いているので、左手が使えないのは大きなハンディキャップ。特に消しゴムで消す時ね。
パソコンの時代の中にあって、坪内さんもまた原稿用紙にサインペンで書くというスタイルだった。かなりの癖字。本欄のように、坪内さんの原稿に私が絵をつけるという仕事もあって、ファクスで送られて来る原稿の字の難読度は高かった。同じライターとして感心したのは、文章にあまり直しのあとが見受けられなかったこと。かなりのスピードで一気に迷わず書いているみたいなのね。私なぞは書きながら、いろいろ迷うことが多く、消しゴムなしには書けないのだった。そもそも鉛筆書きにしているのは、頭の中が、とっちらかっているから。書きながら、迷いながら頭の中を整理している。
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source : 文藝春秋 2020年3月号