岡田嘉子 何を書いた? 逃避行前に残した涙の日記帳

NEW

エンタメ 芸能

女優の岡田嘉子(おかだよしこ)(1902-1992)は広島市生まれ。女優を志し上京、大正8(1919)年、松井須磨子自殺直後の芸術座で初舞台を踏む。昭和2年、映画「椿姫」主演のさい、相手役の竹内良一(のちに結婚)と失踪し、二人とも日活を解雇される。昭和13年、恋の逃避行と騒がれた、演出家・杉本良吉との“暁の国境越え”後、消息を断ったが、のちに帰国。昭和61年、ソ連を永住の地と定め移住。蜂野豊夫(はちのとよお)氏は、嘉子が在籍した井上正夫一座の文芸部員で親交があった。

 

◎「昭和100年の100人」 記事一覧 文化人編 / リーダー編 / スター編 / 女性編

 昭和13年1月3日、都新聞の日色恵、神崎武雄両記者が「演出家の杉本良吉と女優の岡田嘉子が樺太でソ連へ越境した」と、井上正夫一座の「演劇道場」に飛び込んできました。事情が飲み込めないまま岡田さんのアパートに駆けつけると、一緒に住んでいた義妹の竹内京子さんが部屋にいました。彼女は二人の越境を事前に知らされていたらしく、数日前から準備を手伝い、「手紙などは燃やしてしまいました」と落ち着いた態度でした。

岡田嘉子

 それでも二人に関係するものが警察に発見されると面倒だと部屋を探してみると、岡田さんの日記帳が見つかりました。竹内さんが「お姉さんが好きだった曲よ」とレコードをかけたとき、二、三人の刑事が入ってきました。「君達は何者だ」と聞いた刑事に「新聞記者だ」と答えると、「新聞記者は早いな」といいながらガサ入れを終えて帰っていきました。

 刑事に気づかれなかった日記帳は大切に保管し、作家の山本有三さんと都新聞の土方正巳記者にしか見せていません。日記帳を開くと、書きながらこぼしたのか、読み返しながらこぼしたのか、ポタポタと涙の跡が染み込んでいました。その日記帳と岡田さんのアルバムは、残念ながら空襲で焼けてしまいました。

 二人が初めて名乗り合ったのは、11年8月、明治座で「彦六大いに笑ふ」(三好十郎作)を上演することになり、新協劇団の仁木独人さんが「演出を頼んだ杉本くんに岡田さんを紹介する」と新橋駅近くの「金兵衛」という飲み屋に連れていったときのことです。岡田さんは義妹の竹内さんと一緒でしたが、その席で杉本くんに「今、九段の野々宮アパートに住んでいますから、ぜひお寄りください」と話しかけていました。

年額プランがおトク!月あたり900円で全記事読み放題

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

オススメ!

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

18,000円一括払い・1年更新

1,500円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 1990年2月号

genre : エンタメ 芸能