米軍によるイラン革命防衛隊スレイマニ司令官の殺害で、“第3次世界大戦の勃発”まで懸念された中東情勢。ひとまず最悪な事態は避けられたが、緊張は続いている。ソ連崩壊、リーマンショック、ユーロ危機、トランプ当選、英国EU離脱だけでなく、『文明の接近』で、「アラブの春」をも予言したエマニュエル・トッド氏は、今日の中東情勢をどう見ているのか。
トッド氏
社会変化の深層
米国とイランとの間で緊張が高まっています。メディアでは、日々、米国のトランプ大統領やイランの最高指導者ハメネイ師の発言が報じられ、国際政治の専門家やジャーナリストがさまざまに論じています。
しかし、そうした社会の表層で起きていることよりも、私は「識字率」や「出生率」など、社会のより深層で生じている変化を長期的スパンで捉える仏アナール学派に連なる歴史家です。この立場から、問題を分析してみたいと思います。
2006年、核開発などを理由に、米国が対イラン経済制裁を発動しましたが、当時は、過激な発言を繰り返す強硬派のアフマディネジャドが大統領で、欧米諸国との緊張がとくに高まりました。私がユセフ・クルバージュとの共著で『文明の接近』を出したのは、そんな時期です。
この本のテーマは、人口動態から見た「イスラム世界の近代化」です。通常は「イスラム」と「近代化」は両立しないと思われていますが、そうではありません。
識字化→革命→出生率低下
歴史家のローレンス・ストーンは、「識字率」と「政治的革命」の間に1つの法則を見出し、1640年代の英国の清教徒革命の時期に、「男子識字率」が50%を超えていたことを指摘しました。これに「出生率」を加えると、「識字率の上昇→政治的革命(移行期危機)↓出生率の低下」という歴史の法則が見えてきます。
そうした観点から、私はイランの動きに、長年注目してきました。イランも、1979年の革命前の10年間に、「男性の識字率」が、50%に達していました。イラン革命は、「近代化に反する宗教革命」と見るのが一般的ですが、むしろ「近代化革命」と捉えるべきなのです。英国の清教徒革命も、神の名のもとに君主制を打倒した点で、イランの革命と同じです。また、単なる軍事クーデタとは異なり、いわば「下からの革命」で、その平等主義的な側面からして、イラン革命は、フランス革命やロシア革命の、いわば“いとこ”に当たると言えます。
「革命」につながるような社会の動揺は、男性の半数が読み書きできるようになった時期に起こります。そして歴史の法則に従えば、「男性識字率の上昇」の後には、「女性識字率の上昇」と「出生率の低下」が続きます。実際、イランでも、革命の後に、「女性の識字率の上昇」と「出生率の低下」が起こりました。
「識字率の上昇」と「出生率の低下」は、必ず「移行期危機」をもたらします。「識字率の上昇」が、従来の「世代間の権力関係」に、また「女性識字率の上昇」と「出生率の低下」が、従来の「男女間の権力関係」に大きな変化をもたらすからです。「アラブの春」も、こうした「移行期危機」と捉えられるのです。
すでに40年前に「移行期危機」を経験したイランは、その後、「近代化」のプロセスを着実に歩み、結果として、政治的には、アラブ圏より30年も先を行っています。
ところが欧米諸国、とくに米国は、1979年の大使館人質事件もトラウマとなって「イランの先進性」を見ようとしてこなかったのです。
2006年の時点で、仏雑誌のインタビューで、私はこう答えました。
「平和にとって米国の方がイランより危険だ」
「イランに対する認識としては、“過激なアフマディネジャドが大統領の国”というより、“出生率が低下し、社会として近代化のプロセスを歩んでいる国”と捉えた方がいい」
「イランが核保有しても問題はなく、むしろ中東の安定にとって望ましい」
私は外交の実務家ではなく、1人の研究者にすぎませんが、当時の状況に不安を感じて、在仏イラン大使館の館員たちと積極的にコンタクトを取っていて、このインタビュー記事も大使館に送りました。
すると、2週間後、大使館員から連絡がありました。面白いことに、「イランの出生率は再び上昇している!」と指摘されたのです(笑)。
つまり、通常の欧米の先進国、(女性の地位が低いゆえに出生率の低下に歯止めがかからない日本、ドイツ、韓国などとは違って)出生率に関してある程度“健全な”均衡点に達したフランスのような先進国とまったく同じ動きをしているわけです。
こういう私にとって、現在、米国とイランの間で生じていることは、関心を掻き立てられるテーマです。しかし、大きな当惑も感じています。
米国の中東政策はナンセンス
「トランプの対外政策」は「一国主義的」で「非合理的」と批判されるのが一般的ですが、私はそこにある種の合理性を見ていて、米国の識者以上に理解できているという自負をもっています。しかし、それゆえに当惑を感じるのです。
海外から批判されるトランプの「対中国政策」は、米国にとって一定の合理性を有しています。強硬姿勢に転じた「対欧州政策」、とくに「対独政策」も同様です。トランプが「メキシコ国境の壁」にやたらと拘っていることにも、私は一定の理解を示します。しかし、トランプの「対イラン政策」だけは、まったくのナンセンスで、米国の国益に反しています。「中東からの米軍撤退」というトランプの願望とも矛盾します。
「帝国」としてのアメリカ・システムは、現在、「欧州」「アジア」「中東」というユーラシア大陸の3つの極でその地位を脅かされています。トランプの地政学的認識――米国のエスタブリッシュメントにも共有されているわけですが――は、「欧州」や「アジア」では、現実に即した一定の進化を遂げています。それに対し、米国の地政学的認識が旧来のまま、しかるべき変化を遂げていないのが、「中東」です。
国際秩序は、大きく揺れ動いているのに、米国の地政学的認識は、変化に追いついていません。それは、米国の地政学の専門家が、あまりに“老人”だからでしょう(笑)。ハンチントンは亡くなりましたが、ブレジンスキーのような“旧式の地政学”が、いまだ影響力をもっています。米国のエスタブリッシュメント層の「反ロシア」「反イラン」のメンタリティーも、ここに原因があります。ロシアやイランへの敵対姿勢は、いわば、1つの“習慣”と化しているわけです。
イランとサウジ
「中東」と比較すると、「欧州」「アジア」の状況は、米国にとってよりシンプルです。「欧州には英国」、「アジアには日本」――奇しくもどちらも島国ですが――という「信頼に足るパートナー」がいるからです。
この点、「中東」は異なります。この地域における米国の伝統的なパートナーは、イスラエルとサウジアラビアです。
反イラン・親サウジのトランプ
もちろん、イスラエルは、米国から見て信頼できるパートナーです。しかし、約890万人の人口規模の小国で、米国にとって厄介なことに、約100万人のロシア出身ユダヤ人の存在によって、ロシアとも良好な関係を保っています。
もう1つ、「中東」で、米国が“惰性的”に同盟関係を続けているのは、サウジアラビアですが、極めて多くの問題を抱える国です。「反動的な君主国家」で、宗教面でもある種の“ヒステリー”を起こしています。
この点、イランは、まったく対照的です。「半ば民主的な国家」で、宗教面でも健全な変化が見られ、社会として「近代化」のプロセスを着実に歩んでいるからです。
「欧州」での台頭勢力はドイツで、「アジア」での台頭勢力は中国であるのに対し、「中東」での台頭勢力は、イランです。米国と対立しながらも、ドイツは「同盟のパートナー」でもあり、中国も「貿易上のパートナー」でもあるのに対し、「中東」で台頭しているイランとは、そうした関係がいっさいありません。
イランは、ダイナミックな社会で、たとえば、サウジアラビアとは対照的に、「国家」として高度に組織化されています。
シーア派国家であることも重要なポイントです。スンニ派がより「保守的」であるのに対し、シーア派は、より「進歩的」です。いわばスンニ派が「カトリック」だとすれば、シーア派は「プロテスタント」なのです。
両者の違いは、「女性の地位」に顕著に表れています。
スンニ派では、親の遺産は、息子がいなければ、父方の親戚(イトコ)にすべて引き継がれ、娘の取り分はゼロになります。
これに対し、シーア派では、息子がいなければ、親の遺産のすべてを娘が引き継ぎます。ちょうど、息子がいないときに、長女が婿を取って相続する日本の「姉家督」のようにです。要するに、スンニ派よりも「女性の地位」が相対的に高いのです。
「女性の地位が相対的に高い」ということは、「子供の教育が行き届く素地」となり、「近代化により適した社会」ということを意味します。
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source : 文藝春秋 2020年3月号