小林快次(北海道大学総合博物館教授・恐竜学者)

令和の開拓者たち 第10回

安田 峰俊 紀実作家。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員
ニュース サイエンス
「恐竜研究の世界に『小林ブランド』がいつの間にか確立している」。日本の恐竜界のレジェンド“ダイナソー小林”はいかにしてつくられたのか?

世紀の大発見

 2013年9月、北海道勇払郡むかわ町では、北海道大学総合博物館准教授(肩書は当時)の小林快次(48)を中心とする大規模な化石発掘プロジェクトが開始されていた。

 後にカムイサウルス・ジャポニクス(通称「むかわ竜」)と呼ばれる、全長約8m・体重約5tのハドロサウルス科の恐竜を掘り出すことになったのだ。この時点では、まだ尾の化石しか見つかっていなかった。

「他の部位の化石がきっと出るだろうとは言ったけれど、本当に出るかな。尻尾だけで終わることもある」

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むかわ竜の尾の化石

 小林の教え子の大学院生・高崎竜司は、予備調査の段階で、そう話していた師の姿を覚えているという。結果的には良い意味で予想が裏切られ、全身骨格(骨格体積の8割)の発見とカムイサウルスの新種報告という歴史的な成果に結びついた。しかし、当初の段階では、さすがの小林もいささかの不安があった。

 2013年の第1次発掘では、まず重機で斜面が削られ、複数の尾椎骨や1.1m大の右大腿骨をはじめとした足の骨が見つかった。これだけでも大発見だが、現場はより多くの化石が出そうな気配があった。

 2014年9月の第2次発掘は、より豊作だった。100を超える歯とさまざまな骨が見つかったからだ。当時、博士前期課程(修士課程)の2年生だった高崎は記録係として作業に追われていた。

「流れ作業で片っ端から撮影する。無我夢中でした。そうしたら、ちょっと離れた場所で、大きなざわめきが聞こえたんです」

 これが、日本の恐竜発掘史に残るカムイサウルスの頭骨化石が発見された瞬間だった。1日の作業の終了後、小林たちは頭骨化石が含まれると思しき岩石を、むかわ町立穂別博物館に運び込んだ。

「これは頭骨の化石ですよね?」メディア関係者がしきりに質問を投げかけてきたが、小林は答えを濁した。今回の発掘は世間の注目を集めている。化石が恐竜のどの部位にあたるかが確定できる段階まで、滅多なことは口にできなかった。

「……それで、高崎君。これは本当はどこの部位だと思う?」

 師匠から弟子への実地教育がこっそりとおこなわれたのは、取材陣がいなくなってからだったという。

「うーん、下顎の骨でしょうか?」

「そうかな? 上顎だと思うよ」

 結果は小林の言う通り、上顎だった。頭骨化石の発見を伝える緊急記者会見が開かれたのは2014年10月10日だ。小林は話す。

「大抵の場合、僕は記者発表のときも気楽に済ませるんです。ただ、あの時はプレッシャーで少し震えた。これは日本では世紀の大発見だ。ちゃんと成果を伝えていかなくてはならないという思いが強かった」

 事実、この発見は小林にとっても日本の恐竜学界全体にとっても、大きな転機となった。

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小林教授

恐竜界の日本代表選手

 日本を代表する恐竜学者・小林快次の名は、これまでも図鑑や恐竜展の監修、活発な論文執筆などを通して、アカデミズムの世界や恐竜ファンの間では広く知られていた。NHKラジオの『子ども科学電話相談』の恐竜分野の解説担当者としても有名で、子どもたちの間では「ダイナソー小林」のニックネームで呼ばれる人気者でもある。

 以前の小林の業績では、デイノケイルスの研究が有名だ。かつて1965年に2.4mの巨大な腕だけが見つかった「謎の恐竜」デイノケイルスについて、小林らはモンゴルで2体の全身骨格化石を発見、生態を詳しく解明した。これは世界の恐竜ファンが目を丸くする事件だった。

 しかし、カムイサウルスの発見は、日本国内的にはさらに重要だった。小林の名前と日本の恐竜学の現在を、恐竜ファンや子どもたちのみならず、日本の一般人の間に大きく広めることになったからだ。

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発掘された「むかわ竜」

 一般の新聞やテレビでの特集も増えた。『恐竜まみれ』(新潮社、2019年6月刊)をはじめ、小林が一般向けや少年向けに書いた著書も数多く刊行された。恐竜学は医学や工学などと比べて、世間一般から「何の役に立つのか」といった無粋な質問を受けやすい。その学問的意義を伝え、理解を求めていくことを、小林は常に意識していた。

 カムイサウルスの発掘と研究は、NHKテレビの科学番組で何度も取り上げられた。昨年夏に国立科学博物館で開かれた特別展「恐竜博2019」の目玉展示にもなった。

 カムイサウルスの学名は、ラテン語で「日本の竜の神」を意味する。その名にふさわしく、小林が発掘と研究の指揮を執ったこの恐竜は、まさに日本を代表する恐竜となった。

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ファン多くても発見は少ない日本

 恐竜とは、中生代の約2億3140万年前から約6600万年前まで地球上で繁栄した脊椎動物のグループだ。かつては鈍重で劣った生物だと思われた時期もあったが、1970年代から研究が進展。特に中国で羽毛を持つ恐竜化石が発掘された1990年代後半以降、認識が著しく塗り替えられた。現生の鳥類が、獣脚類という恐竜の一グループから進化したこともほぼ明らかになった(厳密に言えば、鳥は恐竜の生き残りだ)。

 恐竜は骨盤の形の違いで、大きく竜盤目と鳥盤目に分かれる。映画『ジュラシック・パーク』でお馴染みのティラノサウルスやヴェロキラプトル(獣脚類)、ブラキオサウルス(竜脚類)などが竜盤目、対してステゴサウルス(剣竜類)やトリケラトプス(角竜類)、さらに鳥脚類のハドロサウルス科などが鳥盤目の恐竜だ。2019年9月に新種として報告されたカムイサウルスも、このハドロサウルス科に属する植物食恐竜だった。

 日本人と恐竜の関わりは、世界的に見ると不思議だ。日本では大規模な恐竜展が各地で開催され、書店には子ども向けの恐竜図鑑があふれかえる。だが、大衆的な恐竜人気の高さに対して、日本国内で恐竜化石が見つかる例は、北米諸国や中国・モンゴルなど広大な国土を持つ国と比べればかなり少ない。近年は福井県をはじめ、日本各地で恐竜化石の発見例が増えているが、歯や骨のかけらがわずかに見つかるような事例が多くを占めてきた。

 ゆえに一昔前まで、日本人の恐竜学者はごく少なく、国内のみで世界水準の恐竜学を学ぶこともほぼ不可能と思われた時代が長く続いた。

 小林快次は、そうしたなかで日本人として最初に恐竜研究によって博士号を取得した研究者だった。そんな小林が、やはり日本の恐竜発掘史上ではごく珍しい全身骨格化石の発見を報告したことは、わが国の恐竜学がまったく新しい時代に入ったことを意味していた。

海の地層で見つかった奇跡

「カムイサウルスの化石が海の地層から見つかった点は、世界的に見ても興味深いと言えます」

 小林は言う。むかわ町穂別の山あいには、良質なアンモナイト化石を多く産する白亜紀末期の海の地層が広がる。カムイサウルスの発見も、アンモナイト化石を探していた地元のアマチュア発掘家・堀田良幸が、2003年に尾の部分の化石を見つけたことがきっかけだ。当時、堀田は化石を穂別博物館に持ち込んだものの、博物館側はこの尾が恐竜ではなく海棲爬虫類(首長竜)の化石だと考え、研究は後回しにされた。

 やがて2011年、首長竜研究者の佐藤たまきが、この尾が恐竜の化石である可能性を指摘。博物館から依頼を受けた北海道大の小林が実物を確認し、ハドロサウルス科の恐竜化石だと断定したことで、やっと残りの部位の発掘調査の道がひらかれた(なお、発掘には延べ1000人以上がたずさわり、第二次発掘の事前工事だけでも、むかわ町から約3000万円の予算が投じられた)。

 当初、発見された尾が首長竜のものと誤認されていたのは、海の地層から恐竜化石が出るとは思われていなかったことも大きい。そうした化石の発見例は世界的にも多くない。

 生前のカムイサウルスは陸上で暮らしていた。だが、遺体はなぜか当時の海岸線からすくなくとも10数㎞沖合、約80〜200mもの水深の海域に流されてから化石化したようなのだ。小林は話す。

「まだ確言はできませんが、津波などのなんらかの理由で、陸地から一気に沖合まで流されるような事態があったのかもしれない。骨には多少、魚に食べられた痕跡がありますが、巨大なサメや海棲爬虫類などに食い荒らされる前に海底に埋もれた。ゆえに良質な全身化石が残ることになったとみています」

 海の地層から恐竜化石を探すことは、これまであまりおこなわれていない。カムイサウルスの発見は、世界の化石発掘の新たな可能性を示すものでもあった。

スーパー化石中学生だった過去

 恐竜学者・小林快次を作ったものはなにか。鍵は少年時代にある。彼は1971年、福井県生まれ。やがて1980年代後半から恐竜化石が多数発見され、日本随一の恐竜県として知られる県の出身だ。

 もっとも、少年時代の小林は他の「恐竜好き男子」とは違い、恐竜の名前を暗記することには興味を示さなかった。彼は恐竜よりも、化石発掘という行為そのものを好んだ。

 小林と化石との出会いは、福井大学教育学部附属中学校(現・福井大学教育学部附属義務教育学校)に進学してからのことだ。彼が所属した理科クラブの顧問で、中学3年間を通じてクラス担任でもあった吉澤康暢(やすのぶ)(後の福井市自然史博物館特別館長)が、地学に並ならぬ造詣を持つ熱心な教師だったのである。

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化石発掘に夢中になっていた中学生時代

 小林は入学早々、そんな吉澤から日本海沿いの鮎川町の化石発掘現場へ連れて行かれる。そこには、恐竜時代よりも新しい、新第三紀の貝化石が出る地層が広がっていた。

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source : 文藝春秋 2020年5月号

genre : ニュース サイエンス