「金与正は生意気だ」「コロナによる肺炎患者が次々死亡している」「『愛の不時着』のヒョンビンはカッコいい」…北朝鮮の実態は未だ多くの謎に包まれている。韓国在住のジャーナリストが北に直通電話をかけ、市民の「肉声」を集めた。そこから見えてきたものとは?
北朝鮮の生の声
いま、金正恩の足元が揺らいでいる。国際社会からの経済制裁の出口が見えないところに、新型コロナが追い打ちをかけた。感染防止のために中朝国境を封鎖したことで、米などの食料品が高騰し、経済や食料事情は史上最悪とも言われる状況に陥っている。
そうした中で、金正恩自身にも異変が起こった。故金日成の誕生日「太陽節」にあたる4月15日、遺体が安置された錦繍山太陽宮殿を金正恩が参拝しなかったことで、健康不安説が浮上したのだ。その後も、地方視察などの活動は激減し、動静が報じられるのは稀である。
代わって存在感を高めたのが、妹で党第一副部長の金与正だ。6月には、脱北者団体が金正恩を「殺人者」などと批判するビラを飛ばしたことに対し、「南朝鮮(韓国)と決別する時がきたようだ」などと文在寅政権を罵倒する談話を発表。さらには、南北融和の象徴である開城の南北共同連絡事務所の爆破に踏み切った。
一方で、北市民の間で大人気なのが韓流ドラマ「愛の不時着」である。パラグライダーの事故で、北朝鮮に不時着した韓国の財閥の跡取り娘と、彼女を守ろうとする北朝鮮将校とのラブストーリーだが、金与正は、「共和国の地位を低下させる連続劇(ドラマ)だ」と激怒したという。
「愛の不時着」(ネットフリックス公式サイトより)
筆者は金正日が死亡した2011年末から繰り返し北朝鮮市民への電話インタビューを行ってきた。今回も首都・平壌市民を含む8人の北朝鮮住民に話を聞いた。いま、北朝鮮の人々は何を思い、どのように暮らしているのか。高校生から50代までの生の声を紹介する。
なお、取材に応じてくれた方々の安全に配慮して全て仮名にしたほか、一部を除き、細かい居住場所も明らかにしていない。
金正恩の“避難”
①ク・ヘラン(53歳・女性)
朝鮮半島東海岸にある港湾都市・元山市に住む。元山は金正恩の生まれ故郷といわれている。
――お仕事は。
「いまは金や銀、宝石の商売をしていますが、以前はレストランをやりながら中古車を売っていました」
――コロナの感染者はいるか。
「(海沿いに位置する)徳源では多く発生しましたが、元山市内ではほとんど出ていません。最初は大騒ぎになり、保安員(警察)が、コロナが発生した家に出入りしないよう見張っていました」
コロナ発生の疑いを受けて開城を封鎖したと発表した7月26日まで、金正恩は「感染者ゼロ」と言い張ってきた。だが、ク氏は以前から感染者が出ていたと語るのだ。
――人々はマスクをしているか。
「マスクをつけなければものすごく統制されます。(住民監視組織の)糾察隊が立って取り締まっているので。マスクの値段はいいもので1枚2500ウォン(北朝鮮の実質レートで約35円)ぐらいで、安いもので500ウォン程度です。いまは家ごとに手作りしたものを使っていて、作ったものは市場でも売っています」
――金正恩がコロナのために人口の多い平壌を避け、4月末から元山に滞在したという報道があったが。
「5月になると元山にある『新興市場』という大きなチャンマダン(農民市場)が突然閉鎖されて、20日以上商売ができなくなりました。元山には『六〇二別荘』という金正恩の別荘がありますが、誰が来たかはわかりません。ただ、“誰か”が元山に来たのは確かです。人民班長(町内会長)と保安員が夜、各家を回って(世帯員以外に)外地の人が来ていないか、宿泊検閲をして、警備が異常に厳しかったですから」
――金正恩に対する考えは。
「人民を苦しめるんです。最近は生活が大変だから、親しい人同士では……(ためらいながら)金委員長が早く死ぬことを望むと言っています」
――北朝鮮は核を保有すべきか。
「以前は、『なぜ世界でトウモロコシしか食べていけない国(北朝鮮)を苦しめるのか』と思っていましたが、今は(非核化しろという圧力も)理解できるようになりました。でも、今後も南朝鮮を脅迫してでも核を持つでしょう」
――脱北者のビラについて。
「(元山南部の)通川にはたくさん飛んできたそうです。国家保衛省(情報機関)の講演会では、(韓国での)脱北者の暮らしは貧しいとずっと話していました。『反逆者(脱北者)が静かに暮らさないから、南北共同連絡事務所を爆破させた』と。こんな講演は初めてです。ただ、脱北者からはお金が送られてくるので、みんな脱北者の家族をうらやましがっています」
――金与正をどうみているか。
「ここでは、『金与正第一副部長は生意気だ』と言っています。あんな小さな人(金与正)が横行して、労働新聞とテレビを通じて酷い悪口を言っているのに、豊かに暮らす国(韓国)が南北共同連絡事務所を爆破されて黙っているとは理解し難いです」
存在感を高める金与正
戦争が勃発すればいい
②チョン・セミ(37歳・女性)
中朝国境に住み、農業をしながらチャンマダンで商売をしている。夫とは死別したが小学生と中学生の2人の子供がいる。だが、子供たちを学校には通わせず、一緒に近くの山に入って、食料と交換するために様々な木の実を拾っているという。
――北朝鮮でもコロナが流行っていると聞いたが。
「はじめは(コロナではなく)『肺炎が出回っている』と言われました。コロナに感染して、ウチの町では15人くらいが亡くなったようです。昔は病院が無料でしたが、今は自分で薬を買って病院に行かなければなりません。お金があれば病院へ行けるのに……。コロナにかかった家は、『立入禁止』の紙が貼られ、出入りが制限されています」
――金正恩政権については。
「金委員長が政権を握れば開放され、豊かに暮らせると思いました。ところが、暮らしづらいのは以前と同じ。もうイライラするだけです。周りの人々も、(政権の)将来が知れているし、希望がないと思っています」
――核開発についてどう思うか。
「いつも核を作ることにお金を注ぎ込んでいるが、その資金を人民生活のために10%でも使ってくれればいいのに……と民は悪口を言っています。食べ物がなくて大変なのに、あぁ……(とため息をつき)いつも『戦争、戦争』と言ってないで、パッと(戦争が)勃発したらいいです」
「戦争が起きればいい」は住民の決まり文句である。現状に不満を抱えるあまり戦争が起こってでも何かが変わってほしいと願っているのだ。
――韓国をどう思うか?
「みんな、南朝鮮に行きたがっています。ここでは仕事をしても給与をもらえないからです。子供たちに食べさせなければなりませんから」
――統一については。
「大いに期待しましたが、私たちの代でもできそうにありません。我が国はいま、民を閉じこめています」
食料の配給はまったくない
③キム・デソン(43歳・男性)
――お仕事は。
「工場に勤めていましたが、月給では生活できないので辞めました。いまは中国の貨幣で毎月100元ずつ(約1500円)を当局に出して個人商売を認めてもらっています。元山から送られてきた金、銀、銅などを中国に渡す(運び屋の)仕事で、1カ月に1500元ほど稼げます」
――北朝鮮でもコロナによる死者が出たと聞いたが。
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source : 文藝春秋 2020年9月号