トップ研究者連続取材 「国産ワクチン」はできるのか

河合 香織 ノンフィクション作家
ニュース サイエンス 医療
政府が「来年前半までに全国民分のワクチンを確保する」と宣言する中、国内でのワクチン開発に期待が高まっている。いつできるのか?  副作用は? トップ研究者たちによる開発の最前線を巡ると、いくつかの課題が見えてきた。
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河合氏

「少しでも可能性を減らせたら」

 政府は8月28日、来年前半までに全国民分のワクチンを確保することを目指すと発表し、これらの費用を今年度予算の予備費から充てる方針を閣議決定した。新型コロナウイルス収束の切り札だと期待されるワクチンが、ここに来て一気に現実味を帯びてきた。英アストラゼネカ社とオックスフォード大学が開発するワクチンを1.2億回分、米ファイザー社のワクチンも1.2億回分の供給を受けるという基本合意もなされ、配分の優先順位の方針が固まるなど、接種を前提とした準備が進められている。

 一方、輸入ワクチンだけではなく、国産ワクチンの重要性も再認識されている。8月7日に厚生労働省は、国内における大規模生産体制の構築を目的とし、6つの製薬会社等に対して900億円の助成を決めた。

 国内ワクチン開発の先頭を走るのはアンジェスだ。6月末から第½相臨床試験(治験)を始め、すでに7月末の時点で30人に対するワクチン接種が終わっていた。

 8月上旬、ロシアが世界初の新型コロナワクチンを承認したというニュースが駆け巡っている頃、私はアンジェス創業者森下竜一氏の研究室を訪ねた。森下氏は大阪大学臨床遺伝治療学寄附講座教授でもある。

「受けてみます?」

 森下氏はそう言うと、テーブルの上に置かれた抗体検査試薬が詰まった袋からキットを一つ取り出した。

「やっといてもらった方がこっちが安全なんで。IgM陽性なら今日は帰ってもらわなくちゃいけない」

 穿刺ペンに指を押しつけ、キットに血液を垂らして待つこと数分、感染初期のIgM抗体にも感染の既往がわかるIgG抗体にも線は現れなかった。

「陰性です。じゃあマスク外してもらっていいですよ、私も外してますんで。感染後1週間はIgM抗体は上がらないから、本当は陰性証明に使えないんですけどね。偽陰性や偽陽性もある。でも、少しでも可能性を減らせたら意味があるでしょう」

 どういう意味があるのかと訝る私に、森下氏は言った。

「なんでうちに抗体検査キットがこんなにあるかというと、臨床試験の対象者にPCR検査と抗体検査の両方を受けてもらっているんです。すでに感染している人にワクチンを打ってもしょうがないからね。そして、もう一つの理由としては、副反応としてADE(抗体依存性感染増強)の危険があるからです。できれば治験はこのウイルスの免疫を持っていない人の方が安心なんです」

森下竜一
 
森下竜一氏

世界最速で開発

 ADEとは、ウイルスから体を守るはずの抗体が、逆に免疫細胞などにウイルスが感染することを促進し、重症化してしまう現象である。実はこのことはワクチン開発の研究者が、新型コロナの大きな懸念のひとつだと声を揃える問題でもある。

 1960年代に作られたRSウイルスの不活化ワクチンでは、接種した子どもたちが重症化し、2人が死亡した。また哺乳動物では、SARSやMERS、ネココロナウイルスのワクチンでもADEが見られた。

 ADEが起きる理由はまだ解明されていないため、予期できないという。このようなリスクを避けるため、ワクチン接種前に抗体の有無を調べる必要があると森下氏は言う。今後、治験の人数が大幅に増えるフェーズにおいては、抗体検査だけでスクリーニングできないかと考えている。PCR検査をすると、その日にワクチン接種できないからだ。

 アンジェスが世界最速の20日間で開発したというワクチンの特徴は、DNAワクチンにある。DNAワクチンやメッセンジャーRNAワクチンは「核酸ワクチン」と呼ばれ、新たなワクチンとして注目を集めている。ウイルスの遺伝情報をワクチンとして注射することで、ウイルスのタンパク質が細胞内で合成され、免疫が獲得されるという仕組みである。新型コロナ以前は、世界でも承認された例はなかった。ウイルスの遺伝情報のみで開発できるため、スピードが早いという利点がある。また新型コロナはBSL(バイオセーフティレベル)3の実験室で扱う必要があるが、核酸ワクチンの製造過程でウイルスは必要ない。

「スピードを重視したい。DNAワクチンはパンデミック時のファーストゲートキーパーだと思っています。従来型のワクチンよりも早く開発できるというメリットがある。今はできる限りベターなものを作り、走っているうちにベストなものに切り替えていけばいいと思っています。もしも最初からベストを求めるならワクチンができるまで3年はかかるでしょうが、そんなに待っていたら経済がだめになってしまう」

 森下氏はもともと遺伝子治療が専門で、ウイルスは専門外だった。

「ワクチンのベクターとしてプラスミドDNAという環状のDNAを使っていますが、これに血管再生の遺伝子を入れて治療薬を開発することが25年来の僕の研究でした。遺伝子治療薬は2001年から臨床試験を行い、昨年ようやく厚労省に条件・期限付きで認可されました。プラスミドDNAを実用化したのは世界でもアンジェスだけです」

ワクチンは国防

 さらに、プラスミドDNAを使った高血圧治療のワクチン開発も行っており、今年3月からオーストラリアで臨床試験を開始している。

「新型コロナで早くワクチン開発ができた理由は、プラスミドDNAに関する安全性のデータがすでにあったからです。開発した治療薬にはベクターに血管を再生する遺伝子を組み込んでいて、車に喩えるとレクサスみたいなものです。一方、新型コロナではその部分をスパイクタンパク質という機能がないものに変えているだけ。つまりレクサスの車体はそのままで、エンジンだけはカローラに変わっているようなものです」

 森下氏は「ワクチンは国防」だとし、「アメリカは9・11以降、バイオテロ対策に力を入れ、軍が資金供給している。そして中国が新型コロナワクチンの治験をまず人民解放軍に対して行っている意味を考えないといけない」と言う。

「さらにワクチンは戦略物資です。ロシアでの承認が早い理由もそこにあります。日本政府は交渉下手だと思います。国産ワクチンがうまくいけばいくほど、政府が海外からワクチンを買う時の条件が良くなる。もしも国内で1億人分ワクチンが確保できれば、海外ワクチンはたたき売り状態になるのです」

 そこで、問題となるのは供給量だ。ワクチンを大量生産するためには当初は想像もつかなかった落とし穴があったという。

「いざ増産しようとしても、ワクチンを入れるガラスボトルやDNAを抽出するカラムが仕入れられない。そしてGMPという医薬品の製造管理の基準があるため、細かな要件を満たしていないといけないことも大変です。この非常時に緩和してもらえないかと思うけど、かつてのイタリアやスペインのように死者が何万人も出るような感染爆発状態というわけではなく、そこまでの非常時でもないという微妙さがあります」

 今をどれほどの非常時だと評価するかは、第3相の臨床試験にも関わってくるのだと森下氏は言う。

「この程度の感染状況では、WHOが定める大規模な臨床試験は日本では無理です。感染率を見るためには感染が蔓延し続けることが前提であり、先進国ではありえない」

画像3
 
COVID-19

有効性が見極められない

 国立感染症研究所村山庁舎は、国内で唯一、エボラウイルスなどの毒性の高い病原体を扱えるBSL4が稼働する施設である。ここでワクチン開発の最前線に立つインフルエンザウイルス研究センターの長谷川秀樹センター長もまた、国内での感染流行との兼ね合いを懸念していた。

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source : 文藝春秋 2020年10月号

genre : ニュース サイエンス 医療