超一級資料を持っていたのは昭和天皇や常陸宮に信頼された男だった
ここに、青い表紙に『二・二六事件(勃発から終結まで)天皇陛下の四日間』(以下『天皇陛下の四日間』)と記された、手書きの古い冊子がある。原稿用紙54枚の分量がある。
昭和11年、陸軍は皇道派と統制派に分かれてヘゲモニーを争っていた。このうち皇道派の青年将校たちが1483名の下士官兵を率いてクーデターをはかったのが二・二六事件である。岡田啓介首相、鈴木貫太郎侍従長、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監、高橋是清蔵相、牧野伸顕らが襲撃され、うち斎藤、渡辺、高橋は即死、岡田と牧野は難を逃れた。反乱将校の目標は「君側の奸」を排斥して陸軍主導の「昭和維新」を目指すことだったが、4日後の29日には終息した。
この陸軍青年将校らによるクーデター未遂事件の間、昭和天皇はどのようにして過ごしていたのか。『天皇陛下の四日間』はその動静を、当時の記録をもとに追ったものである。書かれたのは昭和45年か46年と推測される。
冊子に記された執筆者の名前は戸原辰治氏。大正から昭和にかけて宮内庁の職員として、昭和天皇の第2皇子である常陸宮正仁親王の侍従を務めた人物だ。『天皇陛下の四日間』は、この戸原氏の自宅に保管されていた。
戸原氏宅にはほかにも、歴史的に価値のある資料が残されていた。昭和20年8月6日から15日までの天皇の動向を戸原氏が記した『太平洋戦争終結まで 天皇陛下の十日間』、『二・二六事件秘話』などの自筆の冊子や常陸宮との思い出を綴ったエッセイなどなど。
戸原氏自身が書いたもの以外にも、昭和12年に皇宮警察部が二・二六事件の経緯を綴った『二・二六事件記録』があった。ガリ版刷りでマル秘の印が押されている。昭和初期までのテロ事件の系譜、二・二六事件当日の警備記録、事件以後の警備や警戒態勢について書かれており、皇宮警察による二・二六事件の記録としては数少ない貴重な資料のひとつだろう。『天皇陛下の四日間』はこの記録を中心に、その他の未公開資料も参考にして戸原氏が、二・二六事件の経緯を整理したものだ。
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source : 文藝春秋 2019年3月号