コロナ第三波「失敗の本質」

分科会メンバー特別寄稿

小林 慶一郎 慶應義塾大学教授
ニュース 政治 医療
昨年11月後半の約10日間、菅首相には挽回するチャンスがあった。なぜそれができなかったのか。分科会メンバーが振り返る「コロナ第3波」失敗の教訓とは。

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▶「GoTo」継続には政府内の深刻な情報ミスマッチがあった
▶緊急事態宣言は「出さない」が暗黙の了解になっていた
▶︎対策のリーダーは菅首相?分科会?厚労省?「司令塔」はあいまいだった
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小林氏

(1) 第3波の失敗から何を学ぶか

 第3波の始まりは今でもよく覚えています。私も一員である「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の空気がガラッと変わり、それまで余裕があった感染症の専門家の先生方が慌て始めたのです。「感染が加速している。これはまずいぞ」と口々に言い始めました。11月10日前後のことです。

 正直なところ、メンバーの一人とはいえ経済学者である私には、なぜ感染症の先生たちが急に焦り始めたのかがよくわかりませんでした。新規感染者数だけ見れば、8月後半とあまり変わりません。夏休みが終わる頃には、専門家は安心モードだったはずです。

 11月上旬もまだ夏と同じようなレベルで、東京都の新規陽性患者数はせいぜい1日200人台後半でした。最初は「なぜそんなに焦っているのかな」と不思議でした。ところが専門家はもう顔色が変わり、「これはどんどん増えるぞ」と言い出しました。私としては、おそらく「職人的直観なのだろうか」と理解するしかなく、その危機感に確信を持てないまま、「ここは経済のことは置いて感染対策に集中するしかないな」と思った記憶があります。しかし今から振り返れば、あの時こそ、平常時から感染爆発に局面が変わったところだったのです。

 いま菅義偉首相に対する批判が高まっています。コロナ対策が後手に回り、あまりに遅すぎると。しかし11月初めの時点では、分科会の感染症専門家でさえ、今回のような急激な感染拡大は予想できておらず、その準備もできていませんでした。

 まだ新規感染者数が安定していた10月頃は、分科会にも「東京で1日200人ぐらいが平常状態ではないか」という意見の専門家がいました。つまり、200人前後を維持するようクラスター対策を取っていれば、感染はそれ以上増えないということです。これに対して「もっと低く抑えるべきだ」というメンバーもいましたが、明確な数値目標で合意するわけでもなく、尾身茂会長も「まあ、そんなもの(200くらい)かな」という感じで、どのあたりがボーダーラインなのか、はっきりしなかったのです。

 メンバーから「もう少しベースラインを下げておきたかった」という反省の弁が聞かれたのは12月10日過ぎになってからのことです。秋の抑え込みは明らかに弱かった。いまでは、「ステージⅠ(東京都の新規感染者数が1日100人程度)近くまで持って行かないと感染はコントロールできない」という認識になっています。

 たしかに世間では、「冬は感染が拡大するかもしれない」とか、「空気が乾燥するから感染しやすくなる」と指摘されていました。しかし、新型コロナウイルスに関しては初めての冬です。今なら「東京都の新規感染者は2けたまで抑えるのが理想的」とも言えますが、それは後知恵だから言える面もあります。

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尾身会長

コロナ対策にかかわる5つのプレイヤー

 コロナ対策のグランドデザインを最もシンプルに言うとこう言えるかもしれません。

・感染が落ち着いているフェーズでは、経済と感染対策を両輪で回せる。

・感染拡大フェーズでは、経済はいったん脇に置いて感染対策に集中する。

 これだけなら多くの人の意見が一致するところだと思います。しかし、どの時点でフェーズの切り替えなのかというとても重要な基準が秋の時点では明らかではありませんでした。菅首相の判断が遅れたのは、GoToキャンペーンにこだわりすぎたことのほかに、アクセルとブレーキを踏みかえるタイミングがわかっていなかったという重要な点が忘れられています。

 私が言いたいのは、初めての経験だから、首相の判断も致し方なかったということではありません。そうではなく、コロナ対策にかかわる人間は、未知の部分がまだまだある中で、最悪を想定しつつ、しかし、試行錯誤を行うことを恐れず、迅速で柔軟な政策決定をするべきだということです。つまり、いまは日本を含め世界中が未知の危機の真っただ中にあり、危機の局面では次に何が起こるかは専門家でもわからず、対策は手探りであることを肝に銘じておかなければいけません。

 コロナ対策にかかわるのは、菅首相や分科会だけではありません。メインプレイヤーとして他にも、厚生労働省、各都道府県の知事、そして世論(国民)が大きな役割を果たしています。いま菅首相の「失敗」と言われることには、他のプレイヤーの判断や行動が影響を与えた面も少なくないと私は見ています。

 11月後半からの数十日間、菅首相には挽回するチャンスが何度かありました。でもそれがなぜできなかったのか。分科会のメンバーとして私が見聞したことを振り返りながら、「コロナ対策の失敗の本質」を考えてみたいと思います。

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菅首相

(2) GoTo―政府内の深刻な情報ミスマッチ

「医療提供体制がこんなにすぐ逼迫するなんておかしいじゃないか!」「病床はまだあるはずだったのではないのか」

 12月上旬のある日、私の目の前で、経済政策を担当する内閣府の官僚がカンカンになって怒っていました。

 彼の怒りの矛先は厚生労働省でした。コロナ患者用の病床は、一般病床で2万7000床、重症者用に3600床が確保されているはずだったのに、重症者がまだ400人とか500人という段階で、病床がもう足りなくなったと世の中で大騒ぎになっていたのです。

 厚労省は昨夏、都道府県に医療体制の整備状況について全国的な調査を行っています。秋から冬にかけて想定される感染拡大期に備え、「どれだけ病床を出せるか」「医療崩壊が起きないように、計画を立てて提出せよ」と病床整備の計画を立てたのです。結果、全国には十分なベッドが確保されているはずでした。

 ところが12月になって判明したのは、これがいわゆるお役所仕事で、返ってきたアンケートを集計して数字を積み上げただけのペーパーワークだったということです。病床確保という感染拡大局面では最後の砦となるところなのに、実現性をきちんとチェックせず、そのまま政府の計画として上げていたのです。

 菅首相の近くで経済政策にかかわる官僚としては、そのデータと実際の感染状況を見比べて政策判断してきたのに、まだ冬になるかならないうちにもう余裕がないと言われたので、カンカンになったわけです。一般病床2万7000床、重症者用3600床という数字は、悲しいかな「張り子の虎」でしかありませんでした。その官僚は怒りの持って行き場がなく、顔見知りの私に向かって訴えてきたというわけです。

医療現場から聞こえてきた警告

 彼の話を聞いて私は、やはりそうだったかと思いました。実は、夏の終わり頃には大阪のある大学病院の教授から、こんな話を聞いていたからです。

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source : 文藝春秋 2021年3月号

genre : ニュース 政治 医療