あとすこしほしい

ハコウマに乗って 第1回

西川 美和 映画監督
エンタメ 映画

 今号からの新参です。読者の方には耳慣れないと思われるタイトルをつけたので、その説明から。

「ハコウマ」というのは生きた馬ではなく、演劇の舞台や映画の撮影現場で使われる、ベニア合板などで作られた木製の箱のことをいう。「馬」は踏み台を意味し、「箱馬」と書くようである。大きさはランドセルよりちょっと縦長、ハリウッドではリンゴの木箱に例えられ、「アップルボックス」とも呼ぶ。機材屋さんのホームページで確認すると、縦50センチ×横30センチ×高さ20センチのものを標準サイズにして、さらに高さの低い種類がいくつか揃っている。面に指先が入るほどの穴が空いていて、そこを持ち手にひょいと運べる作りになっており、それ以外は飾りけも愛嬌もない空っぽの箱であるが、これがあるのとないのとでは撮影の融通が大きく変わってくる。

「あとすこしほしい」という時に出番がくる。カメラの三脚を目一杯伸ばしたが、あと少し高くしたい。恋人同士の男女のバストショットを作るとき、もう少し顔の高さを近づけたい、腰掛けてちょっと一服したいが座る場所がない――そんな時には「箱馬!」のお呼びがかかる。底上げしたい高さに応じて平置き、横置き、縦置きと使い分け、大抵のモノや人の高さ調整はこれで足りる。撮影は高い堤防や斜面によじ登って行う局面などもあるが、いつの間にか誰かが箱馬を階段状に積み上げてくれて、衣装を着込んだ役者も楽に行き来できる足場が仕上がっている。「便利箱」とも呼ばれ、「ベンバコ」「バコベン」などの通称も聞く。

 私自身も随分足らないところを補ってもらってきた。助監督として働いていた20代の頃、カメラアングルや照明が整うまでの数十分、俳優の代わりにセットの立ち位置に立つ「スタンドイン」と呼ばれる役割があった。予算の潤沢なCMや海外の現場では、役の俳優と同じ身長のスタンドインのプロを雇い、似た衣装を着て立たせるらしいが、日本の現場では切り詰められ、助監督がその役を担う。

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source : 文藝春秋 2021年3月号

genre : エンタメ 映画