オグリキャップ、ディープインパクト、キタサンブラック……。レジェンドが明かす名馬たちの真実
平成30(2018)年9月29日にJRA通算4000勝の記録を達成した時、まずはホッとしました。(07年に)通算3000勝を達成した時も史上初の記録だったんですが、その時よりも今回は周囲の反響がすごかったんです。夏ごろから「そろそろですね」といろんな方に言われて、正直「さっさと片付けたいな」と思っていました(笑)。
この数字は一つ一つの積み重ねの記録ですし、いつまでに達成しなければというものでもないので、それほどプレッシャーには感じていませんでした。正直4000を目標に今までやってきたわけでもなく、僕の中でそれほどスペシャル感はないのですが、それでも騎手になった当初は全く想像していなかった数字です。勝てなかった馬も含め、すべての(騎乗した)馬に色々教えてもらいながらここまで来た気がします。
ただ、この数字はまだ通過点。4000よりも4001勝、2勝と更に記録を伸ばす方が嬉しい。依頼がある限りは乗り続けて、さらに勝ちを積み重ねていければと思っています。
JRA所属騎手・武豊は昭和62(1987)年のデビュー以来、常に競馬界の先頭を駆け抜けてきた。当時の新人最多勝記録である69勝を挙げた翌年には菊花賞に勝利。GⅠ史上最年少優勝を果たす(19歳7カ月)。翌年にリーディング(年間最多勝)を獲得すると、その後は数々の前人未到の記録を打ち立てた。平成30年に騎手生活32年目でJRA通算4000勝を達成。GⅠ通算75勝は歴代2位の岡部幸雄(31勝)をはるかにしのぐ記録だ。
「騎手」というのは勝つことよりも負けることが圧倒的に多い職業です。たとえば18頭立てのレースであれば17頭は負ける。言ってしまえば負けるのが普通なわけです。僕もすべてのレースで勝ちたいと思って全力で騎乗していますが、4000勝の一方で1万7000回以上のレースでは勝つことができませんでした。
実際に僕は「悔しい負け」を数えきれないほど経験しています。競馬の祭典といわれる日本ダービーでは平成12(2000)年、エアシャカールに騎乗してハナ差の2着がありましたし、年末の有馬記念ではスーパークリークに乗った平成元(89)年とスペシャルウィークに乗った平成11(99)年もハナ差の2着。GⅠレースに限らず、これは騎手の宿命のようなもので、「悔しい負け」に関しては、我々ジョッキーはずいぶん鍛えられています(笑)。
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source : 文藝春秋 2019年1月号