「ワクチン暗黒国家」日本の不作為

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世界から3周半遅れのワクチン開発──不作為が招いた惨状を直視せよ

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▶日本のワクチン接種のスピードは英米に比べてはるかに遅れており、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最下位である
▶もし、日本に特有の変異株が生じた場合、海外企業が日本変異株に対するワクチンを開発する可能性は低い
▶日本のワクチン作戦は、ワクチン開発・生産体制、ワクチン承認(規制)体制、ワクチン接種体制のすべてで壁にぶつかり、三重苦に喘いでいる
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船橋氏

「ワクチン敗戦」

 日本は1年前の新型コロナウイルス第1波の時は、官邸スタッフの表現を使えば「泥縄だったが、結果オーライ」(新型コロナ対応・民間臨時調査会=民間臨調 調査・検証報告書)で何とかしのいだ。しかし、今回の第四波への対応、なかでもワクチン戦線では開発・生産、承認、接種のいずれの面でも成果を上げていない。「ワクチン敗戦」の声が聞かれる所以である。

 日本のワクチン接種のスピードは英米に比べてはるかに遅れており、5月末の時点で接種を完了した人の人口に占める割合は2%強に過ぎない。イスラエル(59%)、英国(39%)、米国(34%)、イタリア(17%)などに比べて大幅に遅れている。経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最下位である。

 世界のワクチン生産国は、米国、英国、中国、ロシア、インドなどごく少数の国家に限られている。日本はその中にはいない。従って、輸入ワクチンに頼らざるを得ない。菅義偉首相は日米首脳会談でワシントン訪問中、ファイザーのCEOに電話をし、9月末までに5000万回分の同社製のワクチンを日本に供与することを要請、確約を得た。首相はそれを受けて「国内の対象者に必要なワクチンの追加供給を受けるめどが立った」と語った。日本はこれによってファイザーとモデルナとアストラゼネカの3社の製品を年内に約3.7億回分、何とか手に入れた。綱渡りワクチン外交を余儀なくされているのだ。

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アメリカと中国はワクチン接種が進む

中国、米国に立ち遅れる日本

 しかし、政府が言うように、秋までは必要供給量を輸入ワクチンで確保できたとしても、今年冬に来ることが予想される次の波に備えておかなくてはならない。ファイザーやモデルナのワクチンの免疫がいつまで続くかも不明である。変異株とワクチンの戦いはイタチごっことなる恐れがある。もし、日本に特有の変異株が生じた場合、海外企業が日本変異株に対するワクチンを開発する可能性は低い。全世界でのワクチンの供給不足はまだまだ続くだろう。

 今年1月に急遽、ワクチン調達と接種の司令塔となった河野太郎ワクチン担当大臣は「国産のワクチンがないと言うのがワクチン担当大臣の頭痛の半分以上を占めている」と言う。そのことが日本のワクチン作戦の選択肢の幅を大幅に狭めているというのである。

 中国は、2003年のSARSウイルスの直撃を受けて以降、ワクチン開発に熱心に取り組んできた。開発を後押しするため、臨床前評価や承認プロセスを短縮化した。武漢で起こった感染を抑え込んだ後、国産ワクチンAd5-nCoVを人民解放軍の兵士を対象に治験し、6月には兵士だけを対象として使用を許可。そして、治験結果を医学誌ランセットに公表、第3相(臨床試験)を始めたばかりのこのワクチンをコロナワクチンとして緊急承認した。中国は昨年春以降、80カ国と3つの国際機関とワクチン支援提供の契約を結び、すでに50カ国に輸出している。

 一方、米国はトランプ政権の対応の失敗もあり感染爆発を許したものの、同政権はワクチン生産増強計画(ワープスピード作戦=OWS)を強力に推し進め、これが功を奏して1日数百万人の接種を可能にした。この作戦はホワイトハウスに司令塔を置き、軍とともにUPSやFedExなどの民間の社会インフラ企業も動員している。しかも、米国はウイルスの遺伝情報を使うmRNA(メッセンジャー・RNA)という世紀の技術革新に注目し、有効性の面では、おそらく最も優れたワクチンを開発し、しかもパンデミックの最中に量産体制まで整えるという離れ業を演じた。

 米国防総省・国防長官直属の国防高等研究計画局(DARPA)は、起業して間もないモデルナに2013年、2016年の2回にわたって研究開発資金を供与した。米保健福祉省の生物医学先端研究開発局(BARDA)はCOVID-19関連の医薬品・ワクチン・治療法の開発などに160億ドル(1兆7600億円)を投入した。規制当局の米食品医薬品局(FDA)は、臨床試験手続きや患者登録、データ分析の面で積極的に企業を支援した。ワクチン承認に関連して、副反応に対する訴訟リスク対策の一環として、FDA職員には刑法上の免責を賦与している。

 翻って、日本。国産生産体制整備のための資金投入は米国の10分の1以下にとどまった。mRNAなどの革新的技術への投資も社会実装も大幅に遅れた。有事に平時の承認プロセスで臨んだ。国民への接種も遅々として進まない。世界を覆うワクチン・ナショナリズムの嵐の中、国産ワクチンを持たない日本の立ち位置は脆弱である。日本だけはいつまでも感染の泥沼から抜け出せないのではないかという不安を国民は抱き始めている。

 国際製薬団体連合会(IFPMA)の副会長を務める手代木功塩野義製薬社長は知人の海外製薬企業の経営者から最近、こんな風に言われたという。

「正直な話、日本はジュネーブ(WHO)で評判が悪い。自国民のためであればいくらでもカネを積んでワクチンを買いあさって、ほかの国の国民なんかどうでもいいと言わんばかりのやり方だと見られている。国産ワクチンがないのだから、最初の1年はしょうがない。しかし、2年目も3年目もワクチンを買い続けるのはやめてほしい、と言うのが彼ら(WHO)のホンネだ。そもそも日本は(ワクチンを)出すほうでなければならないはずだ」

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河野太郎担当大臣

三重苦のワクチン作戦

 日本のワクチン作戦は、ワクチン開発・生産体制、ワクチン承認(規制)体制、ワクチン接種体制のすべてで壁にぶつかり、三重苦に喘いでいる。

 第1に、感染症のワクチン開発・生産体制が貧弱である。新型コロナ感染症向けのワクチン開発に取り組む日本企業は現在、第一三共、塩野義製薬、KMバイオロジクス、アンジェスなどである。どこも臨床試験は国内だけであり、グローバルレベルでの大規模な第3相試験に入っている会社は未だない。

 日本のワクチン市場は規模が小さく、定期接種がなくなり縮小傾向が強くなる中で、国内ワクチンメーカーの国際競争力は低下し続けている。また、ワクチン市場は国内自給型であり、海外メーカーとの共同開発・生産設備はない。日本のワクチン規制が閉鎖的であり、国のワクチン開発政策の方向性が不明瞭だからである。

 1980年代まで日本は、世界で数少ないワクチン開発国だった。しかし、その後40年間、ワクチン市場への新規参入はほとんどない。ワクチン産業は、国の感染症対策の根幹を支える産業であり、特に、危機管理・定期接種に係わるワクチンは公衆衛生政策の中で重要な役割を担う。にもかかわらず、日本には、継続的な政府買い上げの保証制度も、政府が企業に固定報酬を支払い製品を受け取るサブスクリプションと呼ばれる制度もない。

 厚労省が問題の深刻さを理解していなかったわけではない。むしろ、何度も問題を提起してきた。例えば2007年3月に公表された厚労省の「ワクチン産業ビジョン」(神谷齊座長)は「1990年代後半から、世界的にSARS、新型インフルエンザといった新興感染症の脅威が顕在化し、また、バイオテロ等に対する危機感も高まってきている」状況の下、しかも「我が国においては、1990年代のA型肝炎のワクチン以降、新規のワクチンが承認された実績はない」現状に照らし、「通常の予防接種用途のワクチンの安定供給のみならず、このような危機管理にも対応できるワクチンの研究開発力の強化、生産及び供給体制の確保が、大きな課題」であるとの危機感を表明している。

 2009年に新型インフルエンザに見舞われた際は、国産ワクチンを急遽、生産したが量が足らずに海外からワクチンを輸入することとした。だが、契約交渉は難航し、メーカーの言い値を丸のみして緊急手当をせざるを得なかった。この時の対応の検証を行った総括会議報告書(「わが国における対応と今後の課題」、2010年)は「国家の安全保障という観点からも、可及的速やかに国民全員分のワクチンを確保するため、ワクチン製造業者を支援し(中略)ワクチン生産体制を強化すべきである」と改めて提言したが、その後10年間の無策の結果、日本のワクチン開発体制は世界の先進国に比べて「3周半遅れ」(民間臨調報告書)へとさらに後退した。

「有事の承認体制」がない

 日本が見過ごしたのが、mRNAの可能性だった。この点に関して、厚労省幹部は「mRNAについて他国はそれなりに注目し、技術を育ててきたが、日本ではバイオンテックの技術やその開発に関する情報がキャッチできていなかった。ベンチャー・キャピタルがこの技術を商業化するシードマネーを投入していたのに、それに相乗りすることができなかった」と悔やむが、厚労省がその産婆役を果たせたかどうかは疑問である。民間臨調が指摘したように、規制官庁としての厚労省には産業を育成する産業政策的視点が欠けている。そして、経済安全保障政策の要である「戦略的自律性」への意思が希薄である。

 第2に、ワクチンの承認体制の問題がある。なかでも平時と有事の間でモード転換し、有事には平時と異なるガバナンスと手続きによって迅速な承認体制を整えることができない。例えば、日本では米国の緊急使用許可(EUA)のような制度が認められていない。EUAは、緊急時に未承認薬・ワクチンの使用を許可したり、既承認薬・ワクチンの適用を拡大したりする有事対応制度のことである。現在、日本で使われている米ファイザーのワクチンは、米国では通常の承認ではなくEUA制度での許可を得ている。英国と日本は昨年7月、ほぼ同時にファイザー製ワクチンの供与で基本合意を得たが、日本で接種の体制が整ったのは英国より2カ月以上も遅れた。日本にも特例承認制度があるが、その対象は海外で承認された製品のみで国産ワクチンには(海外で承認されない限り)適用されない。

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混乱する接種オペレーション

 そして第3に、ワクチン接種体制の問題である。

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source : 文藝春秋 2021年7月号

genre : ニュース 国際 医療